コクゴキョウイク1960
高等学校学習指導要領「国語科」の改訂をめぐって
1960年3月に「高等学校教育課程の改善について」が答申され、これに伴う国語科の学習指導要領改訂によって、「現代国語」が独立した科目として新設されることとなった。この年は国語教育の現代化にとって大きな節目となる年だったといえる。時枝(1960)は、現代国語の教育は古典の教育とは目的も方法も大きく異なり、古典学習が主に教養的意味を持つのに対して、現代国語の学習は現代生活の基礎となるものであると指摘している。そして現代国語を独立させることは国語科はあらゆる教科の基礎であるという方向に向かうためには不可欠であると主張している。
この新設科目「現代国語」のポイントは3つあった。1つはすべての生徒に毎学年共通に履修させること、2つめはその内容が現代文や話し方、作文であること、そして3つめが文学的な内容に限らず、論理的な表現や理解を重んじることであった(藤井1960)。
古くて新しいコンセプト
この「現代国語」は、言語技術、教養、メタ言語能力の3つを身につけることを目標としていることがわかる。このうち言語技術の向上を第一の目標としたことは、当時としては斬新であったようである。というのは、1つには当時の国語教育は古典重視の傾向があったことがあるが、もう一つは松隈(1960)が指摘している国語教育における「技能主義」への抵抗感が挙げられる。どうやら、国語教育の世界では「国語が使えること」以上の、もっと「高尚なもの」を思考する傾向があったようである。
現在においても、地に足の着いた言語技術教育は普及しきれていない気がする。旧来の教養主義か、ままごとの域を出ない「話し方」の学習か、どちらかであるように思われる。生徒たちは教科書の副教材の解答を暗記し、それで定期試験を乗り切るのが実態ではなかろうか。しかし、このことは国語教育に限った話ではなく、英語教育もまた、同様の状況に置かれている。国語教育が40年以上の歳月をかけても状況が改められないとすると、我々もまた当分の間停滞の時代を生きていかなければならないのかもしれない。