持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

これまで教わった中で一番印象に残っている英語教師

はじめに

今回はid:anfieldroadさんの企画「『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない」に参加して記事です。

これまで教わった中で一番印象に残っている英語教師

これまでにお世話になった英語の先生を思い出してみると、個性的な先生方が何人も浮かんできます。駿台予備学校で「上級英解」というオリジナル講座を担当されていた高橋善昭先生、長内芳子先生、奥井潔先生も確かにそうした先生でした。しかし、本当に印象に残る英語教師は、優れた先生ではないのです。昭和末期に中学生であったとき、印象的な先生がいらっしゃいました。英語を教えることから長らく遠ざかっていたという教頭先生が私たちのクラスで英語の授業を担当していました。この教頭先生は1回の授業で数回間違いを犯していました。単語の綴りがおかしい、発音がおかしい、文法の説明がなんかおかしいなど。それを「しばらくやっていないからなあ」とごまかしながら教えていました。自分が英語を教える立場になって、調べれば簡単に分かることを調べずに教室にやってくる先生ってある意味ですごいと思うようになり、今となっては最も印象に残る英語教師の「俺ランキング」で堂々の一位に君臨しています。

番外編

すごいのは英語の先生だけではないので番外編として別の教科の大物をご紹介します。高校2年の時に古典のご担当であった先生の漢文の授業がすごかったです。「始めます」「読んでみます」「訳してみます」「書き下してみます」「終わります」の5つの言葉しか発しない先生でした。これ以外、一言もおっしゃることはありませんでした。この授業は6時間目で、直前の5時間目が体育でした。生徒の爆睡率90%以上で、起きているのが恥ずかしくなるような授業でした。私が科目等履修生として「国語科教育法」の授業を履修していたときにこの話をしたところ、居合わせた国語国文学科の学生たちは衝撃を受けていたようでした。現在の教員採用を取り巻く状況を考えれば採用はあり得ないタイプの先生ですから彼らの反応は当然だと思います。

まとめ

結局のところ、教師は教師としての仕事をするのが当然ですから、そうした教師は印象が薄いように思います。「ひどい先生」のほうが印象に残るのではないかと個人的には思います。今回は授業を「評価規準」にしてエントリーしましたが、授業以外に目を向ければ、ライターで生徒の手をあぶろうとしていた先生もいました。職員玄関の前に止まっている車を勝手に洗車してしまう先生もいらっしゃいました(これは必ずしもひどくはないですね。上記の教頭先生のお車を洗っていました)。これは私が生きてきた時代に特有のものなのか、それ以前にもそれ以後にもこうした先生がいらっしゃるのかはわかりません。ただ一つ言えるのは、いま私がお会いする先生方は優れたお仕事をなさっている方が多く、そうした先生方の年齢からすると、私が中学生や高校生だったときにも優れた先生がいらっしゃったことは事実であるということです。もしそうした優れた先生方のお世話になっていたら、今私は教育に携わってはいないかもしれないので、縁というのは不思議なものです。