ゼミ発表資料(その1)
2010年5月7日にゼミで発表したレジュメを転載いたします。
メタ言語能力
メタ言語能力とは何か
メタ言語能力(metalinguistic abilities)*1とは、人間の脳内に内蔵されている言語知識を客体化して利用できる能力である(大津1982, 1989)。この概念を指す用語としては、「メタ言語知識(metalinguistic knowledge)」(大津1982)、「メタ言語能力(metalinguistic abilities)」(大津1989など)、「メタ言語意識(metalinguistic awareness)」(Tunmer, et.al. eds 1984など)がある。岡田(2005)は言語について語る言語を「メタ言語」(metalanguage)と定義し、メタ言語を操る能力を「メタ言語能力」と定義している。ただし、Tunmer and Herriman(1984)は「メタ言語意識」がメタ言語の例示化(instantiations)のことであり、メタ言語知識を指すものではないことを強調している。「メタ言語能力」と「メタ言語意識」については、前者を後者を意識化する能力と捉えられることもある(大津1995)が、生越(2007)など、両者を区別しない場合も多く、Leveltらのように"awareness is implicit knowledge that has become explicit"(Levelt, et.al. 1978:5)と、「意識」を「知識」に言い換える定義も見られる。なお、Leveltらの定義にあるimplicit knowledge(非明示的知識)とは、Chomsky(1965)の言うlinguistic competence(言語能力)を指している。
メタ言語能力に関する論考は、Vygotsky *2に端を発するとされている。Vygotsky(1986)は、子どもが母語をひとつの特別な体系(one particular system)と見なし、母語の現象をより一般的な範疇のもとで捉えるようになり、それによって自らの言語操作を意識化できるようになると指摘している。日本の国語科教育でもこのような考え方が古くから見られる。岩淵(1944)は文法学習の観点から次のように述べている。
一體われわれの用いてゐる言葉は、一見雜然としてゐるやうで實はそこに嚴とした理法が存するのである。われわれが言葉を用ゐる場合には、常にこの理法に從つている。唯この理法は普通意識されることがなく、反省してはじめて自覺し得るものである。(岩淵1944:30)
岩淵の言説はメタ言語能力の育成の先駆けと見ることもできる。戦後は永野(1958)が「確かな、完成した言語能力を養うために、文法的な意識を高め、自覚を深めることが必要になるのである。」(永野1958:21)と、「文法的意識」という言い方でメタ言語能力に相当する概念に言及している。
メタ言語能力は、メタ認知(metacognition)の一種であり、言語にかかわるモニタリング機構であると考えられている。稲垣(1982)はFlavel*3の定義を引用し、メタ認知を、「その人自身の認知過程と所産、あるいはそれらに関連したことすべてに関する知識」(稲垣1982:120)と定義している。すなわちメタ認知とは自己の認知活動を認知することであり、このときの「認知の認知」という営みがモニタリングである。Flavell(1979)は、メタ認知が口頭による情報伝達(oral communication of information)、口頭による説得(oral persuasion)、聴き取り(oral comprehension)、読解(reading comprehension)、作文(writing)、言語習得(language acquisition)、注意(attention)、記憶(memory)、問題解決(problem solving)、社会認知(social cognition)などにおいて重要な役割を果たすことが研究によって明らかになっていることを指摘している。Flavellは、認知的営みのモニタリングを構成している要素として、「メタ認知的知識」(metacognitive knowledge)、「メタ認知的経験」(metacognitive experience)、「認知的目標(または課題)」(goals (or tasks))、「認知的行為(または方略)」(actions (or strategies))の4つを挙げている*4。これら4つの要素が言語活動においてどのように作用するかについては、松崎(1991)が作文を例に挙げている。松崎は、誰にでも分かる文章を書こうという目標を持った場合、文法的に正しい文を書こうとするなどの行為を採用し、推敲の際にある文がおかしいというメタ認知的経験を持つという。このときに、目標や行為を吟味し直したり、目標に即したメタ認知的知識を引き出したりして検討することがある。この場合のメタ認知的知識を引き出す能力がメタ言語能力である。なお、メタ言語能力による操作は言語の理解や産出の過程とは別のもので、言語運用において常に行われるものではない(Hakes 1980)。
メタ言語能力は、メタ記憶(metamemory)、メタ学習(metalearning)、メタ注意(meta attention)、メタ社会認知(metasocial cognition)と並んで、メタ認知の下位範疇に位置づけられる(Tunmer and Bowey 1984)。ではメタ言語能力を構成する要素はどのようなものであろうか。Tunmer and Bowey(1984)は「音韻意識」(phonological awareness)、「語意識」(word awareness)、「形式意識」*5(form awareness)「語用論意識」(pragmatic awareness)の4つの要素によって構成されるとしている。岡田(2005)はTunmer and Boweyの構成要素よりも幅広く、音韻論、形態論、統語論、意味論、語用論などにかかわるものがあると指摘し、大津(1989)はこれらの領域に加えてさらに談話法にも及ぶと述べている。
メタ言語能力の発達
メタ言語能力は文法の発達と関連しつつも独自に発達する(大津1989)。メタ言語能力の発達はすでに2歳前後で見られる。大津(1989)は、1歳5か月の子どもが「あめ」(雨)と「あめ」(飴)を自然な発話場面で使い分けられるようになり、この子どもが2歳2か月になると「あめが降ってるね」という問いかけに対して「ちがう、おとうちゃん、あめだよ」と返した事例を挙げている。また、Gleitman, et.al. (1972)は"Mommy, is it AN A-dult or A NUH-dult?と尋ねる4歳児の事例を挙げている。
一般的にメタ言語能力は年齢が上がるにつれて高度なものに発達していく。Gleitman, et.al. (1972)はL. Gleitmanと7歳の娘Clairとの会話の中で、Clair loves Clair.という言い方が前のClairと後のClairとが別人である場合に言うが、同一人物である場合にはClair loves herself.というと娘が説明したことを取り上げている。もちろん、大津(1982)が指摘するように、これは言語学者と心理学者を両親に持つ子どもの事例であるので典型的なものとは言えない。実際、メタ言語能力には個人差がある。森山(2009)は、「公園で春子さんは冬子さんと秋子さんに会いました」という文にどんな意味があるか説明を求めるアンケートを大学生と小学生に行うという調査を取り上げている。この文には「春子さんが、冬子さんと秋子さんに会う」という解釈と「春子さんが冬子さんと一緒に、秋子さんに会う」という解釈がある。この調査で二通りの意味があると答えられたのは大学生では90%であったが、3年生では3%、6年生では28%であった。
参考文献
- Chomsky, N. (1965) Aspects of the Theory of Syntax. Cambridge, MA: MIT Press.
- Flavell, J. H. (1979) "Metacognition and Cognitive Monitoring: a new area of cognitive-developmental inquiry." American Psychologist, 34, pp.906-11.
- Gleitman, Lita R., Henry Gleitman, and Elizabeth F. Shipley. (1972) "The emergence of the child as grammarian." Cognition, 1, pp.137-64.
- Hakes, D. T. (1980) The Development of Metalinguistic Abilities in Children. Berlin: Verlag.
- Levelt, W. J. M., and Sinclair, A., and Jarvella, R. J. (1978) "Causes and Functions of Linguistic Awareness in Language Aquisition: Some Introductory Remarks." in Sinclair, et.al. (eds.) (1978).
- Pratt, C. and Grieve, R. (1984) "The Development of Metalinguistic Abilities: An Introduction," in -Tunmer, et.al. (eds.) (1984).
- Tunmer, W. E. and Bowey, J. A. (1984) "Metalinguistic Awareness and Reading Acquisition." in Tunmer, et.al. (1984).
- Tunmer, W. E., and Herriman, M. L.(1984) "The Development of Metalinguistic Awareness: A Conceptual Overview," in Tunmer, et.al. (1984).
- Tunmer, W. E., Pratt, C. and Herriman, M. L. (eds.) (1984) Metalinguistic Awareness in Children: theory, research, and implications. Berlin: Springer-Verlag.
- Vygotsky, L. (1986) Thought and Language. translation newly revised and edited by Alex Kozlin. Cambridge, MA: MIT Press.
- 稲垣佳世子(1982)「認知への動機づけ」波多野誼余夫(編)『学習と発達』(認知心理学講座4)東京大学出版会
- 岩淵悦太郎(1944)「国定文法教科書に就いて」『国文学解釈と鑑賞』9(4) pp.28-34
- 大津由紀雄(1982)「言語心理学と英語教育」『英語教育』31(7) pp.28-31
- 大津由紀雄(1989)「メタ言語能力の発達と言語教育」『言語』18(10) pp.26-34
- 大津由紀雄(1995)「「英語帝国主義」はメタ言語能力によって粉砕できる」『現代英語教育』31(12) pp.20-23
- 大津由紀雄(2006)「原理なき英語教育からの脱却をめざして 大学編」『英語青年』152(1) pp.33-35
- 岡田伸夫(2005)「言語理論と言語教育」大津・坂本・乾・西光・岡田『言語科学と関連領域』(言語の科学11)岩波書店.
- 生越秀子(2007)「メタ言語能力を育てる小学校国語教育についての一考察」−「伝えあう力」育成を視座に−」『全国大学国語教育学会発表要旨集』112 pp.12-16
- 永野賢(1958)『学校文法概説』朝倉書店
- 松崎正治(1991)「《メタ言語能力》を育てる教材の開発」『国語科教育』38 pp.27-34
- 森山卓郎(2009)「外国語活動を支える「国語の力」」森山卓郎(編著)『国語からはじめる外国語活動』慶應義塾大学出版会
*1:他の研究者による定義も挙げておく。"Metalinguistic awareness may be defined at the general level as the ability to think about and reflect upon the nature and functions of language."(Pratt and Grieve 1984:2)"As a first approximation, metalinguistic awareness may be defined as the ability to reflect upon and manipulate the structual features of spoken language, treating language itself as an object of thought, as opposed to simply using the language system to comprehend and produce sentences."(Tunmer and Herriman 1984:12)このように、メタ言語能力の定義には、Pratt and Grieveのようにthe nature and functions of languageと対象を広く捉えているものと、Tunmer and Herrimanのようにthe structual features of spoken languageと狭く捉えたものがある。
*2:Vygotsky(1986)はこの年に改訳された英語版であるが、原書は1934年に刊行されている。
*3:※この論文は発表時点で未入手でした。
*4:Flavellはgoalsとactionsに"cognitive"を付けてはいないが、ここでは稲垣(1982:121)に倣った。
*5:松崎(1991)がこれを引用した際に「形態意識」と訳しているが、この概念を語形成などの形態論の範囲とどめてしまうという誤解を避けるため、「形式意識」と訳した。