持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

国語教育におけるパラダイムの転換

ノローグからダイアローグへ

現在の学習指導要領では国語教育においても、「話す・聞く」力が重視されている。この背景には英語教育のみならず、国語教育においてもコミュニケーション能力の育成がキーワードとなっているためである。しかし村松(2006)によれば、現実の授業では「正しい答え」の出し合いや形式的に流れるディベートなど、真のコミュニケーション活動とはほど遠いものになっているという。村松はこの原因について、授業が教師主導のモノローグ原理のままで、子どもの協働的学びを中心としたダイアローグ原理への転換が図れていないためだと指摘している。
ノローグとは他者性を書いた自己中心的で単眼的な言説や考え方であると、村松は定義している。答えを1つだけ想定し、それ以外の答えに至る読み方や考え方を排除するようなやり方では、表面的に生徒同士が話し合うような場があったとしても、教師の一言で話し合いは強制的にまとめ上げられてしまう。
これに対して、ダイアローグは、テクストのさまざまな解釈が容認される多元的なテクスト論に立脚している。この場合、教室のなかでは多様な解釈をする生徒が存在する。生徒は自分の解釈を、自分とは異なる解釈をする生徒を相手に説明することが求められる。また自分と考えを異にする相手の説明にも耳を傾けて理解しようとする姿勢も大切である。

心理的な参加意識と協働的知識構築

ノローグの授業では、生徒は教師の説明を聞いていても聞いていなくても、時間は流れ。やがて授業は終了する。これに対してダイアローグの授業では協働的であるために、生徒1人1人のなかに心理的な参加意識が得られるようになる。
また、ダイアローグ原理の授業では、協働によって生徒の知識が常に刷新され、その刷新された知識が協働に参加するすべての生徒によって共有される。これは「協働的な知識構築」と呼ばれるものである(秋田2006)

英語教育への応用

英語教育でダイアローグというと、ペアワークによる会話の練習というイメージがある。しかし、生徒同士で教科書を棒読みし合うだけではダイアローグ原理が活かされているとは言い難い。自分が伝えたいことを伝え合うような練習でなければ、ダイアローグは生まれない。逆に文法の明示的な学習であっても、文の意味を考えさせたり、ある表現がなぜ正しくない、または適切ではないのかなどを生徒に考えさせることによって、ダイアローグを生じさせることが可能である。このような文法の授業はcommunicativeな授業ではないかもしれないが、communicationalな授業であることは間違いない。

参考文献

  • 秋田喜代美(2006)「対話と知識構築のある授業」『新英語教育』441 pp.7-9.
  • 村松賢一(2006)「ダイアローグ原理の教育へ−転換を迫られる国語教育−」『英語教育』55(2) pp.30-31.