持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法のグランドデザイン⑥

統語論と意味論−生成文法を検討する

安藤(1983)は、統語形式の意味を考えていく場合に、深層構造のみならず表層構造の情報も関与する解釈意味論(interpretive semantics)の立場をとることが最も妥当であると述べている。しかし安藤はその理由について触れていない。解釈意味論がなぜ「解釈」なのかといえば、生成文法では文を作り出す機能は伝統的に統語論が担っており、統語部門によって生成された統語構造に意味解釈を付与するという考え方に立つからである。
解釈意味論という考え方が成り立つのは、理論言語学の目標を達成していく上での戦略的な理由による。西村(1997)は、生成文法における「自律的統語論」という考え方の背景には厳密な理論の構築のために意味のような扱いにくい要因を排除したいという願望があり、そうした願望が研究戦略に直結していると指摘する*1
これに対して、統語論の自律性を否定し、「基底構造が文の意味を決定する」という仮説と「文法構造は意味から切り離して分析できない」という信条に基づいた理論がかつて提唱されていた。生成意味論(generative semantics)と呼ばれるこの理論では、意味表示を統語形式に結びつけるモデルが措定されており、その意味では学習文法のスタンスに近いものであると言える。生成意味論は文の意味のすべてを深層の基底構造に盛り込もうとしたために、収拾がつかなくなり言語理論としては破綻した。しかし言語を人間の心理とも、社会とも混じり合う連続体であると見なす言語観を根底に持つこの理論の知見をすべて「過去に破棄された理論」として等閑視し、学習文法に活かさないとしたら、あまりに惜しいと言わざるを得ない。

「変形」と「表示レベル」の問題

生成文法の知見を学習文法に活かしていく上での問題点は、実は統語論と意味論との関係だけではない。「変形」と「表示レベル」の扱いを考えていく必要があるからである。つまり「基底構造」や「深層構造」と呼ばれるものが学習文法にとって有益なのか、有害なのかということを検討していく必要がある。この点は英文解釈の視点から以前に論じたところもあるが、学習文法全体の視点から改めて論じていくこととしたい。

「表示」における統語論の優位

毛利(1972)は、意味が心的現象であるため、人の頭を開けて除くこともできず、実物を見せる教育ができないと指摘している。生成意味論の意味表示もやはり抽象的である。山梨(1983)では生成意味論を含めたさまざまな意味表示モデルが紹介されているが、いずれも語彙分解などを介しているため、現実に用いられる文とはほど遠いものである。このため学校文法で形式と意味の対応をいくら重要視しようとも、意味表示をいきなり学習者や教師に示すような記述の仕方はあまり好ましいものとは言えない。
統語形式についても気をつけるべき点がある。福村(2001)にが指摘するように、生成文法の初期理論や標準理論に関しては現実に用いられる文の構造を示していたが、その後の理論では実際に用いられる文の前段階のようなものが示されているためである。こうしたことからChomsky流の生成文法を援用するには、初期の理論が1つの軸となり、その援用によって英語の統語構造を説明していくという方法が予想される。いずれにしても教師用の参照用文法では「形式→意味」という記述の仕方が妥当であることは間違いなさそうである。

「生成」という概念と学習文法

Chomsky(1957)には次のような記述がある。

One requirement that a grammar must certainly meet is that it be finite.(Chomsky1957:18)
A finite state grammar is the simplest type of grammar which, with a finite amount apparatus, can generate an infinite number of sentences.(ibid.:24)

Chomsky(1965)ではこうした文法を「生成文法」(generative grammar)と呼んでいる。しかし、Gazdar, et.al.(1985)は「生成文法」という用語が狭義で用いられることがあり、Chomskyらが70年代以降に提唱した理論*2のみを指すことが多いことを指摘している。
学習文法は広義での「生成的」である必要がある。明示的な文法学習において学ぶべき文法知識が生成的でなければ、果てしなく文法学習を続けることとなる。しかしこのことは、生成文法のモジュールをそのまま学習文法や文法教材に持ち込むことを必ずしも意味しない。新たな言語を学び、使えるようになる過程は文法モジュールのみが関与するわけではないからである。

参考文献

  • 安藤貞雄(1983)『英語教師の文法研究』大修館書店.
  • 荒木一雄他(1982)『文法論』(現代の英文法1)研究社出版
  • Chomsky, N. (1957) Syntactic Structures. The Hague: Mouton.
  • Chomsky, N. (1965) Aspects of the Theory of Syntax. Cambridge, MA: MIT Press.
  • 福村虎治郎(2001)「生成文法と学校文法4」『英語教育』49(13) pp.46-48.
  • Gazdar, G., Klein, E., Pullum, G. and Sag, I. (1985) Generalized Phrase Structure Grammar. Cambridge, MA: Harvard University Press
  • 毛利可信(1972)『意味論から見た英文法』大修館書店.
  • 村木正武・斎藤興雄(1978)『意味論』(現代の英文法2)研究社出版
  • 西村義樹(1997)「認知言語学の潮流」『英語青年』142(12) pp.2-6.
  • 山梨正明(1983)「意味と知識構造」『数理科学』240 pp.44-52.

*1:安藤が援用する80年代初頭までの生成文法と西村が批判する90年代の生成文法ではその枠組みに違いはあるが、自律的統語論というスタンスに違いはない。ただし80年代以降の生成文法では意味部門が「論理形式」(Logical Form)と呼ばれている。

*2:具体的には「修正拡大標準理論」(revised extended standard theory)以降の理論を指すようである。