持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

記号現象のモデルと学習文法

伝達の記号論

池上(1992)は、典型的な記号現象として伝達のモデルを示している。そこでは「符号化」(encoding)と「解読」(decoding)という2つの過程によって伝達が説明されている。
「符号化」では、「発信者」(sender)が「コード」(code)や「場面」(situation)を参照しながら「話題内容」(topic)をメッセージ(message)にする。
「解読」では、何らかの「経路」(channel)によって到着した「メッセージ」を「コード」(code)や「場面」(situation)を参照しながら「話題内容」(topic)に再構成する。伝達が理想的に行われた場合は「発信者」の「話題内容」と「受信者」が再構成した「話題内容」が同一のものになるはずである。
しかし時枝(1955)はこうした伝達の成立ということに対して極めて悲観的な立場をとっている。時枝(1941)は言語の意味を言語主体による具体的事物などの把握の仕方に求めており、システムとしてのラング(=コード)を認めていない。時枝のこの考え方は、外国語として英語を学んでいく上では有効である。なぜならば、仮に「コード」の存在を認めたとしても、少なくとも学習者の「コード」とネイティブの「コード」は同一ではないからである。

言語における「コード」

池上(1992)によれば、言語のコードは「辞書部門」(lexicon)と「文法部門」(grammar)を中心として成り立っているという。言語という記号体系のなかで記号としてきのうしうる単位を記録した部分が「辞書部門」で、その記号間の結合関係を規定した部分が「文法部門」である。エーコ(1996:85)が「コードはコミュニケーションの営みにおいて具体的な形で現れるものとしての記号を生成する規則を決めている」という言い方をし、Givón(1993)がGrammar as a communicative codeという言い方をしているのも、こうした考え方が根底にあると思われる。
学習文法の目標は生成文法の目標とは大きく異なりながらも、統語知識の学習のために生成文法の知見を活かす必要があるのはこうした事情によるところが大きいと言える。しかし同時に統語知識だけでは伝達モデルの「符号化」には役立たないため、意味論的な知見も求められる。認知意味論からの学習文法の再構築が90年代に盛んに行われたのはそのためである。

言語における「場面」

池上(1992)は、言語では「メッセージ」の解釈は「コード」によって保証されるが、「場面」の関与が完全に排除されるわけではないと指摘する。
時枝(1938)は「場面」の概念を池上よりも広く捉えていて、次のようなものが含まれると指摘する。

位置、情景、主体の態度、主体の気分、主体の感情

時枝は言語過程は常に場面による制約を受けると主張する。この考え方は後の「コミュニケーション能力」の概念にも通じるところである。

参考文献