持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

《My Applied Linguistics》という発想

研究者としての教師

阿部(1994)は、英語教師が理論と実践の両面に関心をもつべきであると主張する。しかし理論と現実がかみ合うことは経験的にも多くはないため、理論を捨て実践に走る教師が出てくる。それでも阿部は教師が真剣になって一貫性のある授業を英語の授業をして効果を挙げようと思うのであれば、何らかの理論的支柱が必要になると指摘する。

応用言語学の存在意義

阿部の言う「理論的支柱」とは何か。田中・白井(1994:44)の言う「言語教育の固有の問題圏(problem space)を照射し、それに接近するためのたくましい理論」がそれにあたるものと思われる。田中・白井はここに応用言語学の存在意義を見いだしている。
しかし応用言語学とは単に理論言語学を応用することではない。応用言語学と理論言語学とでは互いの目的が異なるからである。理論言語学の単なる応用であればそのパラダイムの変化にともなって応用言語学もまた変化を余儀なくされる。しかし両者の目的が異なる以上、理論言語学の発展が応用言語学の発展に必ずしも結び付かないことも考えられる。
したがって、応用言語学と理論言語学は基本的に別種の学問領域と考えなければならない。ただし専門的に言語研究を行うのは理論言語学であるという前提に立てば、理論言語学のよいところは援用していくという姿勢が重要であることは変わらない。もっとも言語理論の理解が不十分なまま援用するようでは到底説得力を持ち得ないということは言うまでもない。

応用言語学の定義

田中・白井(1994:46)は応用言語学の定義を「外国語教育を視野に入れた、言語習得・言語使用を応用言語学の固有の研究対象とする」としている。したがって応用言語学は理論言語学と言語論ないしは言語観がおのずと異なってくる。応用言語学では「学習可能性」(learnability)や「使用可能性」(usability)という基準によって語彙論や文法論を検討していくことになる。

教師自らの問題意識に応えるための《My Applied Linguistics》

田中・深谷(1998)は言語使用者自身に帰属する英語を《My English》と呼んだ。《My English》は学んだり教えたりする対象ではない。学習・教育の対象はあくまでも《English》である。
同じことが応用言語学でも言えるのではなかろうか。大学の学部や大学院で教わったり、公刊されている専門書から得られる知識は《Applied Linguistics》であるのに対し、自らの授業や言語使用の効率を高めるための理論は《My Applied Linguistics》である。
言語教育という大きな括りが応用言語学における旗印であることは確かである。しかし阿部の言うように教師自らが積極的に理論的支柱を求めていく場合、現実に個々の教師が実践している授業はさまざまである以上、教師それぞれが理論的支柱として追求する《My Applied Linguistics》もさまざまであるはずである。
このブログが扱っているのもまた《My Applied Linguistics》なのである。

参考文献

  • 阿部一(1994)「英語学と教育文法」『現代英語教育』創刊30周年記念号 pp.44-47.
  • 田中茂範・白井恭弘(1994)「理論言語学と応用言語学どちらが高尚か」『現代英語教育』31(7) pp.44-47.
  • 田中茂範・深谷昌弘(1998)『〈意味づけ論〉の展開』紀伊國屋書店