私の立場(その2)
「アルゴリズム」について
英語教育の領域に「アルゴリズム」という概念を導入した試みに大沢・駒林・佐々木・福士(1968)がある。大沢らはアルゴリズムを「ある類(クラス)の問題を解くための有限回の構成的手続(又は指図、指令)」(大沢ら1968:52)と定義している。もともとは数学の用語であったものだが、心理学者ランダが教育学に導入したとされている。大沢らはさらに次のように述べている。
ひとが問題解決の思考活動を有効的に進め得るには、手持ちの知識・情報を、問題の条件や問いの分析−総合との関係の中で処理・加工し、これらの知識/情報の意味づけの変更、構造変換をしていくことができなくてはならぬ。だから、子どもに思考力をつけてやるには、この処理、加工、変換の知的行為そのものを訓練し、教えていかなければならないのである。(大沢ら1968:53)
ここでいう処理・加工・変換という思考方法として、当時援用されたのが、変形文法の知見であったのだ。
教育文法における統語的知識の扱い
教育文法は、形態統語論・意味論・語用論の3つの領域で構成される(Larsen- Freeman, 1991)。上述のアルゴリズムが問題となるのは、主に統語的知識の扱いについてである。変形文法(生成文法)における句構造規則に相当する部分は、教育文法においても語順を支える根本原理として重要であるから、何らかの形で盛り込まねばならない*1。変形規則については、学習者が持つ既存の言語知識と関連づけながら新たな言語知識を提示できるという点で有効だと考えられる*2。阿部・持田(2005)はこの立場で書いたもので、私の現在の授業にも反映されている。
こうした変形規則の扱い方は、生成文法理論における本来の位置づけとはまったく異なるものである。しかし、理論言語学と応用言語学とは目的を異にするものであり、応用言語学の一領域である教育文法においても同様に考えることができる。教育文法に変形規則を援用するとは、生成文法における言語事実の記述方法を援用しているだけであって、生成文法の理論の根幹に関わる部分の援用ではないのである。