持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

高校時代と英語

感覚から体系へ

中学までの自分の言語学習においては、「コミュニケーションvs文法」のような図式を無意識のうちに頭の中に構築していた気がする。英語を話したりすることが善であって、文法などをやるのが悪であるという考え方が、どこからともなく刷り込まれていた。冷静に考えれば、親も含めて言語教育の素人に囲まれて生活しているのだから、当然のことだったのかもしれない。そうやって、言葉を感覚的に捉えようとしていたのだ。
英語の学習はこのように感覚的で、国語の学習は以前書いたように壊滅的であったため、両者の学習経験が交わることはなかった。これが高校進学後に英語学習の低迷期をもたらした。しかも、学校外でも英語に触れることは少なくなり、VOABBCで最新チャートをチェックする以外は英語の放送を聴くこともなくなった。そのうえ、なぜかNHKラジオでドイツ語講座を聴き始めるようになった。このような状況では英語力が飛躍的に向上することなどあるはずがなかった。このため、高校1年の英語は自分なりに消化することができないまま流れていった。
高校2年になる年の春休みに予備校の春期講習を受講したあたりから、潮目が変わってきた。言葉の中にある規則性や秩序のようなものに正面から向き合うようになっていったのだ。このとき、「文法=悪」という呪縛から解放されたのだ。これを境に、教科書の英文も読んで理解することができるようになった。とは言え、一字一句追っていくのが精一杯の状況で、縦横無尽に多様な読解方略が駆使できる状況からはほど遠いものであった。それでも、高校を卒業するころには、左から右へ、上から下へと、「普通に読む」ことはできるようにはなっていた。