持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

ゼミ発表資料

2010年6月11日にゼミで発表した資料を転載します*1。前回の発表で文献の読みが浅かったところを読み直しているため、内容に重複するところがあります。

メタ言語能力の概念

メタ言語能力の定義

メタ言語能力(metalinguistic abilities)の定義を簡略化して言えば、人間の脳内に内蔵されている言語知識を客体化して利用できる能力となろう(大津1982, 1989)。この概念を指す用語としては、「メタ言語知識(metalinguistic knowledge)」(大津1982)、「メタ言語能力(metalinguistic abilities)」(大津1989など)、「メタ言語意識(metalinguistic awareness)」(Tunmer, et al. eds, 1984など)がある。岡田(2005)は言語について語る言語を「メタ言語」(metalanguage)と定義し、メタ言語を操る能力を「メタ言語能力」と定義している。ただし、Tunmer and Herriman(1984)は「メタ言語意識」がメタ言語の例示化(instantiations)のことであり、メタ言語知識を指すものではないことを強調している。「メタ言語能力」と「メタ言語意識」については、前者を後者を意識化する能力と捉えられることもある(大津1995)が、生越(2007)など、両者を区別しない場合も多く、Leveltらのように"awareness is implicit knowledge that has become explicit"(Levelt, et al., 1978:5)と、「意識」を「知識」に言い換える定義も見られる。このため、本研究では生越(2007)に従い「メタ言語能力」と「メタ言語意識」を区別せずに「メタ言語能力」と呼ぶことにする。
用語の問題からさらに進んでメタ言語能力の概念について見ていくことにする。そこでまずは、人間の脳内に内蔵されている言語知識とは一体どのようなものか考えていく。先ほど引用したLeveltらの定義にあるimplicit knowledge(非明示的知識)とは、Chomsky(1965)の言うlinguistic competence(言語能力)を指している。Chomskyの言語能力は言語運用(linguistic performance)と対立する概念で、前者は"the speaker-hearer's knowledge of his language"(Chomsky, 1965: 4)、後者は"the actual use of language in concrete situations"(ibid.: 4)と定義されている。仮にこうした非明示的知識として言語知識を捉えた場合、次のような定義は一見すると矛盾するように思われる。

As a first approximation, metalinguistic awareness may be defined as the ability to reflect upon and manipulate the structual features of spoken language, treating language itself as an object of thought, as opposed to simply using the language system to comprehend and produce sentences.(Tunmer and Herriman 1984:12 ※強調は引用者による。)

spoken language(話し言葉)とは、音声によって言語を運用したものであり、Chomskyの言語運用の一形態である。だが、Tunmer and Herrimanの定義はメタ言語能力をその使用場面から定義したものである。つまり、メタ言語能力を実際に使用するということは、Tunmerらに従えば話し言葉の構造的特性について考え、その構造を操作したりすることなのである。そのときに関与する知識が非明示的な言語知識を客体化・明示化したものと考えることは可能である。生越(2007)もメタ言語能力を「言語を客体として意識・観察・運用する力」(生越2007: 13)と定義している。こうした概念規定の視点の違いから、メタ言語能力を教育の観点から考える際に、言語を客体化して言語の特性に気づかせることと、気づいて得た知識を言語運用に活用することの2つの面を扱う必要があることがわかる。
先ほど引用したTunmer and Herriman(1984)の定義ではメタ言語能力の対象を話し言葉に限定しているが、書き言葉を含めた言語全般を対象とする定義も見られる。

Metalinguistic awareness may be defined at the general level as the ability to think about and reflect upon the nature and functions of language.(Pratt and Grieve 1984:2)

このPratt and Grieveの定義は言語全般を扱っている。岡田(2005)によれば、大人も子どももメタ言語能力には個人差があるという。大津(2006)は、「優れた英語運用能力を身につけた人の多くは母語運用能力も優れており、その基盤にはメタ言語能力に支えられた言語意識が横たわっているのである。」(大津2006: 34)こうした点を考慮すれば、メタ言語能力の育成は言語教育のあらゆる局面で行うことが望ましく、その前提としてメタ言語能力の対象を言語全般とする考え方を仮説的に採ることにしたい。
次にメタ言語能力が扱う言語知識の範囲について見ていく。すでに引用したTunmer and Herriman(1984)の定義では言語の構造的特性(structural features)を対象としており音韻論および形態統語論的知識をその範囲としていることが分かる。これに対してPratt and Grieve(1984)の定義では言語の性質や機能(the nature and functions of language)と幅広く対象を設定している。より具体的な規定としては、Tunmer and Bowey(1984)が「音韻意識」(phonological awareness)、「語意識」(word awareness)、「形式意識」 (form awareness)「語用論意識」(pragmatic awareness)の4つの要素によって構成されるとしている。しかし、ここには語意識という曖昧な概念が含まれている。語という言語単位は音韻・形態・意味というように意識の向け方が一様ではないからである。この点、岡田(2005)指摘は明快であり、Tunmer and Boweyの構成要素よりも幅広く、音韻論、形態論、統語論、意味論、語用論などにかかわるものがあるとしている。さらに、大津(1989)はこれらの領域に加えてさらに談話法にも及ぶと述べている。本研究では岡田や大津の指摘を踏まえ、メタ言語能力は音韻論、形態論、統語論、意味論、語用論、談話法にかかわるという立場を取る。
以上を踏まえ、本研究ではメタ言語能力を以下のように定義する。

メタ言語能力とは、言語の音韻・形態・統語・意味・語用・談話の各領域についての知識を客体化し、言語運用の際に利用できる能力である。

国語教育におけるメタ言語能力の扱い

メタ言語能力」という用語を国語教育の文脈で初めて用いたのは大津(1989)であるが、同様の概念を取り上げることはそれ以前においても見られた。古くは国民学校の国定文法教科書での文法の扱い方という観点から岩淵(1944)が次のように述べている。

一體われわれの用いてゐる言葉は、一見雜然としてゐるやうで實はそこに嚴とした理法が存するのである。われわれが言葉を用ゐる場合には、常にこの理法に從つている。唯この理法は普通意識されることがなく、反省してはじめて自覺し得るものである。(岩淵1944:30)

戦後は永野(1958)が「確かな、完成した言語能力を養うために、文法的な意識を高め、自覚を深めることが必要になるのである。」(永野1958:21)と、「文法的意識」という言い方でメタ言語能力に相当する概念に言及している。松崎(1991)は、従来の国語科の授業ではメタ言語能力の育成という意識が希薄であったと指摘している。しかし、大津(1989)は、国語教育においてはメタ言語能力の発達という概念が、「言語感覚の養成」、「知的訓練」、「言語構造・言語機能についての認識の深化」という言い回しで捉えられてきたと指摘している。
このうち、「言語感覚」という用語は国語科の学習指導要領のなかでも使われている。最も早い時期で使われた例は1947(昭和22)年の試案に見られる。第四章「中学校学習指導要領」第四節「読みかた」の「一 一般目標」で掲げられている9項目のうち、4項目めに「正しい言語感覚をやしない、標準語を身につける。」とある。ただし、この「言語感覚」という用語に対する公式の解説はなく、その後この用語は国語科学習指導要領からいったん姿を消している。次に言語感覚という語が使われたのは1960(昭和35)年告示の『高等学校学習指導要領』の「古典甲」でである。そこでは、「古典に親しんで、国語に対する愛情を育て、言語感覚をみがくようにする」という事項が「内容」のなかに盛り込まれている。なお、このときの「現代国語」では「すぐれた文章表現を読み味わうことによって,ことばに対する感覚を鋭くすること。」となっており、「言語感覚」という語は用いられていない。その後、1969, 1970(昭和44, 45)年告示の「学習指導要領」から国語科の目標で、「言語感覚」という用語が使われるようになり、現在に至っている。
このように40年以上にわたって国語科教育において用いられている「言語感覚」という用語であるが、これが研究者や学校現場で共通の理解が得られているのであろうか。浅田(1992)は、「「言語感覚」という用語は日本の国語教育界においてはよく用いられ、言葉自体は既に定着したと言ってよいが、最近はその用語が自明のものとして流布してしまっているという感がある。」(浅田1992: 101)と指摘し、甲斐(1988)も国語教育の現場で明確に理解されてはいないと指摘している。その理由として、浅田は「言語感覚」という用語の「感覚」という語が比喩的に用いられ、また一般に多様な意味で広く用いられている語であるためとしている。甲斐は国語学言語学の専門分野で取り上げられていないことを理由として挙げている。さらに町田(2001)は、「そもそも感覚を指導することができるのかという本質的な問題もある」と述べており、その概念はともかく、この用語に対する違和感が理解・定着の妨げとなっていることがうかがえる。
これまでに試みられた言語感覚の定義を見ていくことにする。浅田(1992)は言語感覚を次のように規定している。

言語主体が言語を表現乃至理解する際、表現乃至理解される個別的な言表と、その言語主体が属する集団における社会言語体系との間の差異や、個別的な言表相互の差異を、認識乃至感得する能力。(浅田1992: 108)

浅田の定義にある「社会言語体系」とは湊(1987)によるもので、湊はこれをソシュール(1972)の「言語(langue)」に相当する概念であると述べている。湊も言語感覚の定義を試みている。

端的に言語感覚を規定するならば、それは、音声・文法・語彙などの社会言語としての言語形式そのものについて、そして現実の場でのその適用について、個人が総合的直観的に評価し、判断する力ということになるだろう。それは、言語形式に伴う形態感情や、言語形式の知的意味の背景に働く情意的意味などと深い関連を持つものである。(湊1975: 166)

この定義は、言語感覚の対象を音声・文法・語彙などの言語形式や言語形式に対する形態感情やその背後にある情意的意味としている。メタ言語能力が対象にするものと近いものと考えることができる。また、そうした対象を個人が総合的直観的に評価し、判断するという点においてもメタ言語能力の概念との親近性を認めることができよう。
メタ言語能力と言語感覚の概念には重なり合わない要素もある。町田(2001)の定義は、「ことばの正誤、適否、美醜などについて判断する感覚」(町田2001: 32)であり、甲斐(1998)も、言語感覚を(1)美醜、(2)正誤、(3)適切さ、(4)微妙な意味差の理解、(5)心遣い・表現効果、(6)語句への関心、の6種に整理しており、やはり美醜という要素を含めている。町田は正誤・適否は客観的な基準が存在するが、美醜は本来主観的な価値基準であると指摘している。また甲斐は「国語教育の分野で問題にするのは、国語の深みとしての万人共通の言語感覚の習得を通して、個々人の言語感覚を育成することでなければならない。」(甲斐1988: 75)と主張している。
これらの点を踏まえると、言語感覚には言語表現の正誤・適否といった万人共通で客観的な要素と、言語表現の美醜にかかわる主観的な要素とがある。前者の要素はメタ言語能力として捉え直していくことが可能であろう。「感覚」と「能力」とは確かにまったく別の語である。だが田近(1982)はこの「感覚」を「直観的に何かを感じる主体の内的な働き」(田近1982: 255)と、心的過程として捉え、浅田(1992)はさらに進んで「能力」として規定している。「感覚」という用語には主観的なニュアンスを持ち、その感覚を指導することができるのかどうかという町田が示した問題も、能力として捉え直すことができれば解決するのである。
このように、国語科教育ではメタ言語能力に相当する概念を長らく文法意識や言語感覚という用語で語られてきた。メタ言語能力の先行研究や先行実践を見ていく際にはこうした用語で語られているものにも目を向けていく必要がある。

メタ認知から見たメタ言語能力

メタ言語能力は、メタ認知(metacognition)の一種であると考えられている(Flavell, 1976; Clark, 1978;Tunmer and Bowey, 1984; Birdsong, 1989)。メタ認知の定義としてはFlavall(1976)のものがよく知られている。

"Metacognition" refers to one's knowledge concerning one's own cognitive processes and products or anything related to them, e.g., the learning-relevant properties of information or data.(Flavell, 1976: 232)

Flavellはメタ認知の2つの側面を取り上げており、上に引用した定義はそのひとつである。メタ認知が認知過程やそれに関連した所産に関する認知主体の知識であるということは、メタ認知が「認知の認知」であることを意味している。Flavellが挙げたもう1つの側面とは以下の通りである。

Metacognition refers, among other things, to the active monitoring and consequent regulation and orchestration of these processes in relation to the cognitive objects or data on which they bear, usually in the service of some concrete goal or objective.(Flavell, 1976: 232)

これはメタ認知とは能動的なモニタリングとそれにともなう調整と両者の組織化であり、その過程は具体的な目標の下で認知の対象とそこから得たデータとの関連で行われることを意味する。ここから、メタ認知が「認知についての知識」という知識的側面と、「認知過程のモニタリングや調整」という活動的側面の2つから成り立っていることが分かる。Flavell(1979, 1987)は前者を「メタ認知的知識」(metacognitive knowledge)、後者を「メタ認知的経験」(metacognitive experience)と呼んでいる。両者をさらに、Flavell(1987)、Nelson and Narens(1994)に基づいて分類、整理したものが三宮(1996)の図である。

  • メタ認知的知識
    • 人変数に関する知識
      • 個人内変数に関するもの
      • 個人間変数に関するもの
      • 一般的な人変数に関するもの
    • 課題変数に関する知識
    • 方略変数に関する知識
  • メタ認知的活動(経験)

(三宮1996: 159)

メタ認知的知識のうち、人変数(person variables)に関する知識とは、認知主体としての人に関する知識である。これには個人の中での得意・不得意(個人内変数)、個人間の比較による認知的傾向・特性(個人間変数)、人間一般についての傾向(一般的な人変数)などの知識が含まれる。
課題変数(task variables)に関する知識とは、課題の性質が認知過程に及ぼす影響についての知識である。例えば、音声データによる聴き取り試験では質問が1度しか聞くことができないので注意の負荷が大きいが、目の前の試験官とのインタビューテストでは聞き取れないものは聞き返せばいいので負荷が軽減されるといったものがこれにあたる。
方略変数(strategy variables)に関する知識とは、目標にあった効果的な方略の使用についての知識である。メタ言語能力は正確で適切な言語の表現・理解を実現するための方略の中で適宜行使するものと考えることができる。
メタ認知的活動(経験)はメタ認知的モニタリングとメタ認知的コントロールからなる。コントロールとはFlavell(1976)の用語の調整(regulation)に相当する。Nelson and Narens(1994)は、モニタリングやコントロールをメタレベル(meta-level)と対象レベル(object-level)との相互の情報の流れとして捉えている。メタレベルとはメタ認知のレベルであり、対象レベルとは認知のレベル、メタ言語能力を行使する場合には実際の言語運用となる。モニタリングとはメタレベルが対象レベルから情報を受けることである。例えば、文章理解を対象レベルで行っている場合、「ここが理解できない」という認知についての「気づき(awareness)」、「何となく読めている」という「感覚(feeling)」、「この先は楽に読めそうだ」という「予想(prediction)」、「この読みでいいのか」という「点検(checking)」、「うまく読めている」という「評価(evaluation, assessment)」などがモニタリングに含まれていると考えられる。コントロールとはメタレベルが対象レベルを修正することである。例えば、「完璧に理解しよう」という認知の「目標設定(goal setting)」、「まずは全体の内容を大づかみにしよう」という方略をはじめとする「計画(planning)」、「この読み方ではだめだから別の読み方をしよう」といった「修正(revision)」などがコントロールに含まれると考えることができる。
メタ認知全体で見た場合、メタ言語能力の発達を促進することを目標に掲げる言語教育が果たして有効なのであろうか。メタ認知の過程の中でメタ言語能力を行使する状況がモニタリングやコントロールの中で生じることは十分に考えられる。Tunmer and Bowey(1984)が指摘するように、メタ言語能力は、メタ認知の発達にともなって発達していく。そうであれば、メタ言語能力の育成そのものを目的とする学習活動も必要であるが、この活動が意義を持つのはメタ言語能力の行使が必要になるような状況をメタ認知の中でどれだけ遭遇するかにかかっているのではないだろうか。

今後の課題

前回の発表のときに外国語学習における母語の役割について明らかにする必要があると述べたが、今回の発表でもそこまでたどり着くことができなかった。Sweet(1899)が"The first preparation for the study of a foreign language is the acquisition of a thorough knowledge of the peculiarities of one's own language."(Sweet, 1899: 194)と言うように、直観的には「英語の前に日本語」という発想は間違っていないと思う。だが、Vygotsky(1986)は外国語の学習によって逆に母語の高度の運用能力の習得を促進すると主張している。このあたりの理論研究を第二言語習得研究の視点から行い、足元を固めていく必要がある。
複言語主義の観点から現代日本語と異なる体系を持つ言語として古典を扱うことの有効性についても根拠を明示する必要がある。国語教育と英語教育を架橋する理論的枠組みとしての言語意識教育と、メタ言語能力育成のきめ細やかな気づきを支える言語構造の意識化や、メタ認知のなかでメタ言語能力を行使しメタ言語能力をさらに高めていけるような学習方略についても考えていきたい。前回の発表から1か月もありながら研究の進展があまり見られない状況を反省し、次の発表に備えたい。

参考文献

  • Birdsong, D. (1989) Metalinguistic performance and interlinguistic competence. New York: Springer.
  • Chomsky, N. (1965) Aspects of the Theory of Syntax. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Clark, E. V. (1978) "Awareness of Language: Some Evidence from what Children Say and Do." in Sinclair, et al. eds. (1978).
  • Flavell, J. H. (1976) "Metacognitive Aspects of Problem Solving," in Resnik, L. B. (ed.) The Nature of Intelligence. Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
  • Flavell, J. H. (1979) "Metacognition and Cognitive Monitoring: a new area of cognitive-developmental inquiry." American Psychologist. 34, pp.906-11.
  • Flavell, J. H. (1987) "Speculations about the Nature and Development of Metacognition." in Weinert, F. E. and Kluwe, E. H. (eds) Metacognition, Motivation, and Understanding. Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
  • Levelt, W. J. M., and Sinclair, A., and Jarvella, R. J. (1978) "Causes and Functions of Linguistic Awareness in Language Aquisition: Some Introductory Remarks." in Sinclair, et.al. (eds.) (1978).
  • Nelson, T. O. and Narens, L. (1994) "Why investigate metacognition?" In Metcalfe, J. and Shimamura, A. P. (eds.) Metacognition. MIT Press.
  • Pratt, C. and Grieve, R. (1984) "The Development of Metalinguistic Abilities: An Introduction," in Tunmer, et al. (eds.) (1984).
  • Sinclair, A., R. J. Jarvella, and W. J. M. Levelt eds. (1978) The children's Conception of Language. Berlin: Springer-Verlag.
  • Sweet, H. (1899) The practical study of language: a guide for teachers and learners. London: Oxford University Press.
  • Tunmer, W. E. and M. L. Herriman (1984) "The Development of Metalinguistic Awareness: A Conceptual Overview," in Tunmer, et al. (1984).
  • Tunmer, W. E., Pratt, C. and Herriman, M. L. (eds.) (1984) Metalinguistic Awareness in Children: theory, research, and implications. Berlin: Springer-Verlag.
  • Vygotsky, L. (1986) Thought and Language. translation newly revised and edited by Alex Kozlin. Cambridge, MA: MIT Press.
  • 浅田孝紀(1992)「「言語感覚」の概念に関する一考察」『人文科教育研究』19, pp.101-110. 
  • 稲垣佳世子(1982)「認知への動機づけ」波多野誼余夫(編)『学習と発達』(認知心理学講座4)東京大学出版会
  • 岩淵悦太郎(1944)「国定文法教科書に就いて」『国文学解釈と鑑賞』9(4) pp.28-34
  • 大津由紀雄(1982)「言語心理学と英語教育」『英語教育』31(7) pp.28-31
  • 大津由紀雄(1989)「メタ言語能力の発達と言語教育」『言語』18(10) pp.26-34
  • 大津由紀雄(1995)「「英語帝国主義」はメタ言語能力によって粉砕できる」『現代英語教育』31(12) pp.20-23
  • 大津由紀雄(2006)「原理なき英語教育からの脱却をめざして 大学編」『英語青年』152(1) pp.33-35
  • 岡田伸夫(2005)「言語理論と言語教育」大津・坂本・乾・西光・岡田『言語科学と関連領域』(言語の科学11)岩波書店
  • 生越秀子(2007)「メタ言語能力を育てる小学校国語教育についての一考察」−「伝えあう力」育成を視座に−」『全国大学国語教育学会発表要旨集』112 pp.12-16
  • 甲斐睦朗(1988)「言語感覚の概念」『国語国文学報』pp.69-76.
  • 三宮真智子(1996)「思考におけるメタ認知と注意」市川伸一(編)『認知心理学4思考』東京大学出版会
  • ソシュール, F. de (1972)『一般言語学講義』改版 東京:岩波書店
  • 田近洵一(1982)『現代国語教育への視角』東京:教育出版
  • 永野賢(1958)『学校文法概説』朝倉書店
  • 町田守弘(2001)「国語科教育における言語感覚−言語感覚育成のための学習指導」『日本語学』20(8) pp.26-33.
  • 松崎正治(1991)「《メタ言語能力》を育てる教材の開発」『国語科教育』38 pp.27-34
  • 湊吉正(1975)「言語環境・言語感覚・言語認識」全国大学国語教育学会(編著)『国語科教育学研究』学芸図書
  • 湊吉正(1987)『国語教育新論』明治書院

*1:早稲田大学大学院教育学研究科国語教育専攻「国語科教育演習(1)(町田)」