持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

勉強は20歳になってから

己の体験を語れるか

予備校で教えていると、自分の受験生時代を振り返り自らの体験を語る講師が多いことに気づく。だが、ロクに受験勉強をやっていない私にとっては、語るべきものがない。予備校には通っていたし、授業もそれなりに受けていた。英語の授業では予習をしたが、ほかの授業は予習もせずに授業に出ていた。復習なんてほとんどしなかった。浪人してからやった問題集なんてなかったし、参考書も適当に読み流している感じだった。受験生気分をただ味わってるだけだったのかもしれない。漢文とか、日本史など、ときどき思いだしたように勉強してみたものもあったが、長くは続かなかった。英語と日本史はそこそこの成績だったが、国語は結局伸びなかった。入試科目に古典があるところはすべて落ちた。

大学入学後

プロフィールにあるように、D大学に入った。大学に入ると、言語学・英語学の勉強を一日でも早く始めたいと思い、入門書を読み漁ったり、図書館にこもったりした。新書を読み、参考文献に挙がっている文献を手当たり次第読んだ。その後のことは以前も書いたのでここでは触れないが、それまでの不勉強を補い、乗り越えようという気持ちが強かったと思う。生成意味論や格文法の論文を読んだこともあった。気になったことはとりあえず見てみようという、純粋な知的好奇心に従って行動していた感じだった。研究者の名前でいうと、Chomskyはもちろん、LakoffやMcCawley、fillmoreにLangacker、Johnson-Laird、はてまた時枝誠記山田孝雄と多岐にわたっていた。とにかく乱読だった。今振り替えると、受験勉強で燃え尽きるよりはマシだったかな、という程度の自己評価ではあるが。