持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

あの頃の情熱

ツイッターにて

今日のタイトルは、ある予備校講師がツイッターでつぶやいた言葉である。あの頃とは大学時代のこと、情熱とは専門書を貪るように読んだ情熱のことである。この一言で、私も学部時代のことを思いだした。当時はまだ教養課程と専門課程の名残があり、大学に入ってすぐに専門領域に触れることはカリキュラム上できなかった。そこで、独学で何か学ぶ方法がないかと模索した。新書なら読みやすいだろうと思い『英語の構造』(中島文雄著、岩波新書)を開いて見たが、はじめは旧来の学校文法の概念に引きずられてしまってよく理解できなかった。そこで『英語総合研究−英語学への招待−』(長谷川瑞穂・脇山怜編著、研究社出版)を読んでみた。これは確か、『時事英語研究』かなにかに書評か新刊紹介みたいな形で取り上げられていたものである。これで英語学概論的な知識を一通り身に付けることができた。また専門課程レベルの授業ではないが、桜井隆先生の言語学の授業で紹介してくださった文献を読んだりもした。すると、それぞれの本に挙がっている参考書目のリストを手がかりに、次のに読む本を探していくことになっていく。こうして芋づる式に専門書を読み込んでいた時代を思いだしたのだ。これらは何かの目的のために読んでいたというよりは乱読であった。ただ、他の大学に通う英語学科の学生よりもより多くの専門的知識を身に付けていたいという思いはあった。

予備校講師デビュー時と現在

学部を卒業したときは、予備校講師として食べていくのか、一度受験に失敗した大学院進学を再び目指すのか揺れていた。卒業後初めて出講した予備校で一緒になった講師の方からは、予備校講師はとにかく過去問の収集と分析が命だと言われた。次に行った予備校では、市販されている受験参考書読み、その内容をかみ砕いて教えるのが「人気講師」であった。専門書を読んでいるような講師は、少なくとも若手にはいなかった。具体的な名前を挙げることは差し控えるが、このあたりの予備校では大手予備校講師の手法を、よく言えば参考にし、悪く言えばパクって授業しているだけであった。私は予備校講師というのはそういうものなのかと思うようになっていった*1
予備校がそんな状況なら高校の方がマシだろうと思った。だが、新興進学校の現実は予備校以上に悲惨な状況であった。そして、いま出講している予備校で受験指導に本格的に復帰したとき、専門的知識を豊富に身に付けている多くの先生方を目にしたのである。ツイッターでは出講している予備校以外のところで講師をしている方ともつながりを持つことができ、多くのことを学ぶ機会を得ている。私は今年、再び学生の身分を有する身となることもあり、あの頃の情熱を取り戻し、英語学や日本語学のみならず、さまざまな関連領域にも目を向けていきたいと思う。

英語総合研究―英語学への招待

英語総合研究―英語学への招待

*1:このような状況でも、例外的な存在があったことは以前触れたとおりである。