持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

文法のプリント

古いものは15年前?

後期からの高校の授業で進度を確保するため、プリントを配布しようと考え、過去に制作したプリントのファイルを開けてみて書き直しが必要かどうか見ている。すると、こまめに改訂した形跡が見られる項目がある反面、最初に作って以来ほとんど手を加えていないと思われるものもあった。初期のプリントは学生時代にアルバイトでやっていた塾用に作ったもの。大学1年の時に買ったダイナブックEZにMS-DOS6.2/VとWindows3.1をインストールし、そこにインストールしたWordPerfect6.0で作ったプリントである。いまのマシンにもコーレルオフィスを入れてあるのでこうした古いファイルも開くことができる。
内容であるが、初期のものは『英文法解説』(江川泰一郎著、金子書房)や、Practical English Grammarの翻訳版である『実例英文法』あたりの受け売りで、『英文法教室』(伊藤和夫著、研究社出版)や『英語構文詳解』(伊藤和夫著、駿台文庫)あたりの内容を反映させている項目もある。いま読み返すと自分自身の言語観がひ弱で、目の前にあった本の内容をただ並べただけという印象を受ける。それからさまざまな本に目を通すようになるにつれて、考え方に変化が現れ、それがプリントにも反映されていった。特に、1994年から1995年にかけて『現代英語教育』で連載されていた「認知意味論から見た英文法」や1996年に『英語教育』で大場昌也氏が連載していた「新しい学校英文法のための5つの提案」、そして「若林・手島案」と呼ばれた「英語のカリキュラム」などの雑誌記事から受けた影響は計り知れない。
大場氏の連載が96年である。それまでに『発想の英文法』(田中茂範著、アルク)や『基本英単語の意味とイメージ』(阿部一著、研究社出版)、さらに『〈英文法〉を考える』(池上嘉彦著、筑摩書房)を読んで意味論的視点から英文法を捉え直すことをやっていた。ただそれと同時に意味だけでは文法を見直す視点としては限界があるのではないかということもうすうす感じていた。そんなときに大場氏の連載と出会い、統語論からの視点を得ることができた。形式と意味。その両方から文法を捉えていかなければならないという、いま思えば当たり前のことに気付いたのが、大学4年のときのことだったのだ。それにしても、こう考えてみても大学時代は授業の思い出よりも独学の記憶の方が鮮明なのだと改めて思う。