持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

まさかと思うが・・・

ライティンG

文法の授業のことである。必ずしも文法力の高いクラスではないのに、異様に進度の速いクラスというのがある。私が教育実習をしたときに3年理数科の文法の授業を見せていただいたことがある。板書はなく、閉め初された生徒が淡々と答えを言っていき、それが正しいかどうかのみを教師がチェックするというものだった。こうれはある意味で衝撃的だった。板書無し、解説無しの授業がなぜ成立し、なぜ疑問を抱かれたりしないのか。それは文法は暗記するものだという前提があるからである。
文法は暗記物という前提を打ち立てている場合、暗記が最善の学習法であると確信している場合と、暗記させる以外の授業を行う力量がない場合の両方が考えられる。前者は「腐れクラッシェン派」みたいなもので、文法問題をたくさんやらせているうちに何とかなると考えているようだ。後者はOC&ゆとり世代の申し子のような若手教師に多い気がする。18歳人口が減少して大学に楽に入れる時代になり、かつ学校の英語の授業でaccuracyよりもfluencyが重視された時代であったため、文法指導をまともに受けていない人が増えているのだ。

明示的文法指導のはずが・・・

文法問題を授業で扱うということは、明示的な文法指導を行うという意味だと私などは認識しているのだが、明示しない教師もいる。しかも、入試問題を前面に押し出す授業は、文法知識を提示する授業ではなく、その知識をどのように使って、設問の正解を導き出すかという、思考過程を意識化させる授業であるはずである。この思考過程は経験を積むことで自動化するものである。だとするならば、この手の授業の進度が年度初頭から猛烈に速いということはないはずである。ただ答え合わせをするだけなら、家で問題集を解いて自分で答えあわせをすればよいのだ。生徒を学校に来させている以上、来させる意義があるような授業が必要なのだ。その来させる意義のある授業を、入試文法問題を扱うことで行おうとしているのだから、同時に解法が前面に出るのは必然なのである。
文法問題を表に出すのか、引っ込めるのか、本来はそこが出発点であるのだが・・・