持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

「普通の訳読の授業」が持つ不思議な力

「英語I」や「英語II」は受験対策上、リーディングに特化する傾向がある。学習指導要領の改訂案はおそらくこの傾向を打破したいのであろう。しかし、二兎を追う者は一兎をも得ず。いわんや四兎をや、である。限られた授業時間のなかで4技能すべてが中途半端になるよりは、どれか1つでも学習の成果を出してあげたいと思うのも一理ある。そこで、受験対策の必要があるかないかにかかわらず、見た目にあれだけ読み物が配列されている以上、リーディングに特化するのは自然の流れでもある。
ここで必要なのは、中学校で学んだ文法知識を英文理解のために再構成し、意識化を促し、活性化させていくことである。これは従来から「文法訳読」や「英文解釈」と呼ばれていたものである。ただし、語順に即した順送り理解につなげていくことや、頻度の高い統語形式に重点を置くことが重要である。現在の英語Iや英語IIの教科書はキーセンテンス方式になっていて、授業でも当該文法項目のみ意識させ、それ以外は既習のものとして大きく取り上げないことが多いようである。しかし、センテンスが長くなり、中学の英語とは違うことに気付いて思うように英語が理解できないことに気付いて愕然とする生徒が出てくる。こうした生徒を救うのは、文がなぜ長くなるのかに気付かせ、長さに対処する方略を身につけさせてあげることである。
こうした授業には意外な効能があることに気付いた。文法知識を駆使して文頭から自力で英語を読んでいくことの重要性を説いているうちに、教室から私語が消えたのだ。どちらかと言えば授業態度に問題ありな生徒の多いクラスで前任者も手を焼いていたようだが、代講2日目で少なくともこうした態度は改まってきたという感触を得た。もしかしたら、生徒達は文法訳読に飢えていたのではないか。何でだか分からないまま教師の言う訳を書き取るだけの神秘的な訳読ではない、文法知識に立脚した目に見える訳読を、生徒達が望んでいたのではないか。そう思うのである。