持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

予備校専業からその後

ここに書くのは、こちらからの続きです。

すばらしい出会いの数々

予備校というのはsalad bowlである。いろいろな事情で講師をやっている方がいる。予備校講師になるべくしてなった方もいる。司法試験や公認会計士試験などを目指していて合格するまでの生活費を稼ぐために講師をしている方もいる*1。大学院生や大学非常勤との掛け持ちなどの研究畑の方もいる。大手以外の予備校では教員採用試験の勉強をしながら講師をしている方もいる。このため、担当科目について深い造詣を持っている方もあれば、どこかの受験参考書の受け売りでやり過ごしている方など、さまざまなスタンスが出てくる。
知識面だけでなく、人物面でもいろいろな方がいる。学校のベテラン教諭のようなオーラを放つ方もあれば、いかにも白墨芸者という方もいる。いつも同じような服を着てくる方もいれば、ビジュアル系バンドを思わせるような格好の方もいた。おかげで、いろいろな仕事先に行って、どのような外見の、どのような性格の方に会っても動じないようになった。大学出て中学や高校一筋でやっていらっしゃる方はこういう免疫がない方が多いことも高校で教えていると分かる。この免疫がないことが悪いこととも思わないが、むしろ慣れとは恐ろしいものだとも思う。
しかし、中高教諭や研究者しかやらなかったら決して出会えなかったような素晴らしい方々と出会えたのは貴重な経験であった。こうした経験が私自身のキャリアデザインを考えていくうえで大きな影響をもたらしていった。予備校の方針に従ってほそぼそと授業をこなしていたのが、再び自分のやり方で授業をやっていこうという方針の転換をもたらした。さらに予備校講師に留まらない学習指導に幅広く関心を持つようにもなっていった。

公務員講座の講師

予備校講師というのは春先に仕事がない。収入もない。オンシーズンにそれなりの収入がある場合はこの時期に海外旅行に行ったりと悠々自適な生活を送ることができるのだが、大半の講師はそういう余裕がない。そこで仕事のない時期の穴埋めということで、公務員試験対策講座の講師をやることにした。公務員試験は5〜6月に集中するため、大学入試の時期に直前講座が設けられたりする。私は教養試験の「文章理解」という科目の英文問題の担当となった。半期や通年などの長期的な講座のある大学受験や高校受験の塾・予備校と違い公務員講座では多くの科目を扱うため、一科目あたりのコマ数が少なくなっている。このため出題傾向の分析から、学習法や解法の提示など、限られた時間で学習の全体像を明確にする必要がある。この制約は私にとっていい勉強になった。語学教師は「慣れが大切」ということを隠れ蓑にして、計画そっちのけで「そのうち何とかなる」的な考え方で授業をすることが少なくない。こうしたなあなあから脱却することができたのは、公務員講座の講師を経験したからであると言って過言ではない。

文章理解講師と国語教育への関心

公務員講座の講師を何年か続けていると、コマ数の制約が講師業を続けていくうえでもネックになることがあることに気付いた。自宅から遠い場所で講座が開設される場合、わずか90分1コマのために何時間も移動に費やすこともある。こうしたときに、文章理解の英文以外の分野である現代文や古文も教えられれば、まとまったコマ数で仕事を引き受けられ、講師として効率よく収入を得られるのではないかと思うようになった。また、限られたコマ数で英語を教えているうちに、英語よりも日本語の力を付けるほうが先ではないかと思うような学生が多いことに気付いた。こうした状況から国語教育や国語学・日本語学に関心を持つようになっていった。
この分野にも先達と呼ぶべき人物との出会いがあった。公務員講座の講師仲間で、というか「仲間」と呼ぶのが烏滸がましいくらいの方だが、国語教育に造詣が深く、また日本文学の一流の研究者でもある方がいる。この方と酒を飲みながらいろいろなお話を伺うのはいつも刺激的である。また、日本語学については大学時代の友人にこの分野の研究をしている者がおり、私が独学でこの分野を学んでいくうえで有益な情報を得ることができた。このように国語教育に関しては助言をもらえる方が身近にいたこと、英語教育のキャリアと違い大学受験指導の経験が皆無であることから、受験参考書の受け売り的な授業ではなく、独学で得た知見をもとにゼロから授業を組み立てていくようになった。
ここから先は現在進行中のこととも絡んでくるので、そのうち書くかもしれませんし、書かないかもしれません。

*1:ただし、新司法試験への移行が始まってからはこのタイプの方は減少傾向かもしれない。