持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学生時代のことなど

大分汚職に思う

不正な得点操作で合格した教員を解雇し、逆に操作によって不合格になった者を教員として採用するというのは合理的ではある。しかしそれとは別に、教員採用試験が試験として適切で妥当であるかどうかという問題がある。つまり、「どうもあの先生は使えないと思ったら得点操作で受かったんだ」というのならともかく、「すごくいい先生なのに、不正操作で採用されたからクビになっちゃうんだって」という状況もあり得るのではないかということである。
私は学生時代に、直観的ではあるが、「教師になるための勉強」と「教師としての勉強」とが別のものであるような気がしていた。教職課程での授業にしても、現場で教えるために必要な本質的な部分と、採用試験で出る部分との間に、乖離があるような気がしていたのだ。もちろん、すべての都道府県市がそうであるとは言い切れない。しかし、採用プロセスを異にする私立学校の教員にも素晴らしい先生方が多くいらっしゃることを考えれば、採用試験の内容には改善の余地があることも否定できないと思う。

法研究と教育実習

学生時代は、アルバイトとして塾で英語を教えていたから、どうすれば文法をうまく教えることができるか、ということに関心があった。そのため、文法関係の文献にはかなり目を通したと思う。現行の学習指導要領には「文法」という科目が設けられていないため、文法の深い知識がなくても英語の教師にはなれる。生徒の文法力を育むことは現場の指導の柱のひとつであることは確かである。学生時代に文法について集中的に学んだことは、今の自分にとって貴重な財産になっていると言ってよい。『実践コミュニケーション英文法』が書けたのも、この時の蓄積によるところが大きかったと思う。
私はこれまで予備校など、いわゆる在野での指導経験のほうが長い。そのきっかけは母校での教育実習にあった。生徒に支持される授業と、指導教員から求められる授業との間に隔たりがあった。生徒の理解度や到達度よりも指導計画を遂行することのほうが重要視されていた。極めて行政手続的な授業のあり方に、私は疑問を感じた。それから、自分がどこで教壇に立つかは大学院へ進んで修了するときに考えればよいと問題の解決を先送りにした。だが、院試に失敗したため、当面の生活費を稼ぐという事情もあり、塾や予備校で教えることに活路を見いだしていくこととなった。

予備校専業時代

執筆や翻訳などの仕事を手がける前、講師専業だった頃を振り返ると、2つの時期に分けることができる。前期は自分の主張を抹殺し、クビにならないように必死になっていた時期。そして後期は学生時代に考えていたことなどの封印を解き、自分なりの受験英語の体系化を目指していた時期である。前期では業界のどろどろした部分を垣間見たために、ひたすらテキストを機械的に進めていた。しかし、これは私が教育実習の時に疑問を抱いた授業の進め方と同じであることに気付き、愕然とした。ただ、その頃から私の仕事を評価してくれる先生方に出会い、方向性を変えるきっかけをもたらしてくれたのだ。
1人は当時埼玉の吹上で小さな予備校を経営していた先生。この方は出講していた都内の某予備校の講師室で、私が印刷したプリントが余って放置していたのを目にして興味を持ってくださったらしい。吹上の予備校で何年か講師を務めさせていただいたが、いろいろと得るものが多かったことを覚えている。もうひとりは杉並区にある某予備校で知り合った講師の方。すでに彼の著書や論文をこのブログでも随所で評価しているので、どなたであるかは明らかかもしれない。こうした素晴らしい先生方と議論をする機会を得たときには、それが大学の下手なゼミよりもずっと有益なものだったように思えた。

まだその後の話もあるのだが、またの機会に・・・