持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

読解指導と作文指導の非対称性

読解指導での文章のとらえ方と、作文指導での文章のとらえ方は同一のものなのであろうか。違うと思う。読解指導では、どんなに悪文であっても理解できることを目指さなければならない。しかし、人の振り見て我が振り直せ、である。作文指導では、読み手に余計な負担を掛けない明快な文章を書くことを目標にすべきであろう。もちろん、情報伝達や説得ではなく、感動させることを目的とした文章を書くこともある。だが、書き手が意図しないところで読み手に不快感や嫌悪感を抱かせるような文章を書いてはならないのである*1
これは国語だけの問題ではない。英語教育で難解な文章を読むための構文主義的な英文解釈が依然として求められるのは、悪文であっても理解できることに越したことはないからである。表現として悪文であっても、内容的に理解する価値がないものであるとは限らない。これはどのような言語にもあてはまる。しかし、英語でも悪文を書くことは許されない。非母語話者の悪文は非文と紙一重だからなおさらである。プレイン・イングリッシュが求められるのはこのためである。*2

*1:ある程度分別が付く学年では、意図的に相手を不快にさせる文章の練習をさせるのもいいのかもしれない。刃物が危ないことを教えるのと同じリクツである。

*2:国語教育・日本語教育でも、プレイン・ジャパニーズが必要なのかもしれない。