脱言語の受験小論文・受験現代文
受験小論文や受験現代文は、なぜ言語から離れようとするのか。テレパシーこそが究極のコミュニケーションのあり方だとでも思っているのだろうか*1。「小論文は作文ではないから言語表現にこだわらなくてよい」というのはどういうことなのか。「作文」は「論文」や「小論文」よりも上位の概念ではないのか*2。*3
文章である以上、言語で表現しない文章などありえない、という根本的な現実に、受験生はしっかりと向き合わなければならないのではないか。教える側も、文章の言語、すなわち日本語の知識を身につけておく必要がある。それは学校国文法の知識ではない。漢詩由来の文章構成法でもない。現実の日本語の記述から出発して、理解を困難にする要因を検討し、理解阻害要因を排除した文法を、文章表現の規範文法として提示しなければなるまい。もちろん、文法だけでは文章は書けない。だが、文法が文章を書くうえでの重要な要素であることは確かである。