持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

悪文理解教育

国家公務員採用試験に見る「小論文」試験

国家公務員の採用試験には幹部候補のI種、それ以外の大卒向けのII種、高卒や再チャレンジ向けのIII種の試験がある*1。これらの試験にはいわゆる「小論文」の試験がある。ただし、その内容や評価項目は職種によって異なる。

  • 国I:[総合試験]総合的な判断力、思考力についての筆記試験(問題として与えられた資料を分析した上で、課題設定や論理展開する論文試験)
  • 国II:[論文試験(小論文)]一般的な行政に携わる者として必要な文章による表現力、課題に関する理解力などについての短い論文による筆記試験
  • 国III:[作文試験]文章による表現力、課題に対する理解力などについての筆記試験

ここで気になることがある。国家I種の試験では「表現力」を見るとは言っていないのである。これは文章表現の形式的な部分については基礎中の基礎であるから、キャリア候補にあえて要求するような野暮なことはしないということなのかもしれない。だが、この職種を志望する受験生の書く答案を模試などで見る限りは、形式的な部分が十分クリアしているとは言えないものも少なくない。この辺り、本試験ではどう採点するのであろうか。

  1. 基礎的な文章表現力がないと見なし、評価を下げる。
  2. 形式的側面は不問とし、あくまでも内容のみで評価する。

もしも、2.のスタンスを取った場合、文章が書けなくても官僚になることができるということになる。そうなると、意味不明な公用文が生み出されることは容易に想像がつくし、外部の人間や「高学力な」*2ノンキャリアの職員のチェックを受けない限り、そうした文書が世の中を渡り歩くことになる。

悪文理解教育の必要性

日本の知識階級には一定の割合で、高度な内容を稚拙な文体で書き綴る者が存在すると仮定した場合、必要になるのが悪文を正しく理解するための能力・技術である。英文解釈というのは、ある意味で悪文理解学習の側面がある。今後は、母語である日本語においても、こういった技術を教えていく必要があるのかもしれない。そして、人の振り見てなんとか、というやつで、学習者自身が書く文章についてはそういったことのないように、文章表現技術を徹底的に身につくようにする。ただ、目くそじゃなかった、メクストも、悪文を生み出す側に回ってしまうわけだから、悪文理解教育が学習指導要領に盛り込まれることはないと思う。

*1:この他に専門職の採用試験もある

*2:これらの職種では表現力が評価対象となることが明記されているのだから、そういうことになる。以前、東国原英夫・宮崎県知事が「県庁職員は文章作成能力が高い」という趣旨の発言をしていたが、一般的には公務員の文章能力は高いといえる。