持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

脱活用論(その2)

田丸卓郎『ローマ字文の研究』*1

日本語をローマ字で表記するだけなのに、なぜ文法が問題になるのかということを疑問に思う人もいるかもしれない。ふだんの我々の生活では、自分の住所や名前以外のことをローマ字で表記することがないが、もしまとまった文章をローマ字で書こうとするならば、ローマ字(≒アルファベット)を使う日常的に使う言語の場合と同様に分かち書きが必要となる。このため、「語の認定」という、古くから国学者国語学者・日本語学者が考察してきた問題を避けることができないのだ。田丸もまた、ローマ字表記のために、独自の文法観を持つに至ったと言える。
田丸は動詞や形容詞の語形を「切れる形」「続く形」「条件の形」の3つに大きく分けている。「「切れる形」は、断定を表す一般的な形(見る・見た)、推量(見よう・見たろう)、命令(見い・見ろ)の3つのカテゴリーを設け、命令以外はさらに現在と過去に分けている。「続く形」は、接続(見て)、中止(見)、列挙(見たり)の3つに分けている。「条件の形」は、不定条件(見ると・見たら(ば))と定条件(見れば・見たれば)に分けている。これらはさらに現在と過去に分けている。条件の形」を設けているという点で、ロドリゲスのようなラテン文法の影響を受けた文法の枠組みと通ずるところがある。なお、すべてのカテゴリーには、肯定と否定の語形を挙げている。
田丸のこうした考え方はヨーロッパの伝統的な文法カテゴリーを日本語の分析に当てはめたものであって、学校文法の枠組みを考慮したものではない。田丸の業績を紹介している根岸(2008)は、日本語教育などの観点から田丸の文法論を見直す必要があることを示唆している。しかし、日本語を母語としない者だけでなく、日本語を母語とする者にとっても田丸のような考え方で文法を捉えることは意義があることなのかもしれない。たとえば、現在と過去という基本時制を認める考え方を母語の分析から学ぶことで、英語の時制の学習が容易になる可能性がある。そう考えると、日英語の学習文法を統一的な視点で記述するうえで何らかの示唆を与えてくれるものであることは間違いないであろう。

参考文献

  • 根岸亜紀(2008)「田丸卓郎」『国文学解釈と鑑賞』73(1) pp.47-52.

*1:前回までの芳賀矢一の文法論も含め、このあたりの文献に関しては原典には目を通していないことを、ことわっておかなければなるまい。