「現代文」を教える
国語というか、日本語というか・・・
最近は現代文を教える機会が増えていて、英語だけを教えていた頃と比べると、いろいろ勉強になることがあるなと、つくづく感じる。これは自分がかつて学んでいた現代文は、あくまでも「国語」であったが、今自分が教えている現代文は、より相対的な「日本語」であるということなのかもしれない。なぜ、そうなるのかというと、一般の国語教師と違い、私の頭の中が「対照分析モード」になってるからなのだろう。
受験現代文の違和感
実は、こうした仕事をしていて気づいたことがある。英語や古文を教え始めたときには、かつて自分がお世話になった学習参考書などに目を通していた。こうした学参の長所・短所を把握し、短所を改善するところから始めていこうと思っていたからだ。だが、現代文では今までに一度も教材研究に際して学参に目を通したことがない。その理由は、受験現代文というものに、何となくなのだが、ある種の違和感を感じるところにある。
さて、このあたりからブログを再開しようかと・・・