持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

コミュニケーション・思考・言語

教育再生会議の第一次報告を踏まえて

1月24日に内容が明らかにされた、教育再生会議の第一次報告「社会総がかりで教育再生を〜公教育再生への第一歩〜」には、今後の検討課題として、言語教育に関わる項目が挙がっている。

小学校における英語教育の在り方、学校における外国語教育の在り方、また対話・意思疎通能力、批判的・論理的思考力、対人関係能力、問題解決能力の養成の在り方(p.24)

ここの、「また」以降の部分は、外国語教育にのみ関わるのではなく、国語教育を含めた言語教育全般に関わるものと思われる。ここで「コミュニケーション」という言葉を使わなかったのは卓見である。この言葉を「英会話」と同義に捉える教師が多いからだ。少なくとも、この文言からは、外国語教育も国語教育も、現状のままではダメだという認識が委員の間にあったということは、十分に読みとることができる。

effective communicationという考え方

1990年代以降の英語教育では、「ゆとり教育」と学習指導要領の改訂にともない、文法や語彙などの言語知識の詰め込みに基づく訳読中心のやり方から、「コミュニケーション」重視のやり方に変化していった。しかし、授業時間数の削減と「コミュニケーション」に対する誤解から、何となく通じればよいという程度の英語しか教えられていない状況にある。旧来の訳読にしても、本来の「読む」という行為の実現にはほど遠いものがあったわけだから、文字言語重視か音声言語重視かの違いはあっても、「コミュニケーション軽視」が相変わらず続いていたといってよい。
しかし、相手の言っていることをしっかりと理解するにはどうしたらいいのか、自分の考えを確実に相手に伝えるにはどうしたらいいのか、それ以前に自分の考えは他人に伝えられるほどしっかりまとまったものなのか、知りたい情報は何のどこをどう読んだら(聞いたら)分かるのか、などという要求に、言語教育は応えていかなければならないのではなかろうか。ゆとり教育の見直しから、英語教育では文法の復権といわれることが多くなってきたが、従来の文法指導を単に復活させるのではなく、言語教育の目的を再認識し、そのなかで文法指導をどう位置づけていくのか、その場合の文法の内容とはいかなるものなのか、ということを考えていく必要がある。