持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

国際コミュニケーションのための英語って?

国際コミュニケーションとは何か

岡部(1987)は、コミュニケーションをそのレベルに基づいて類型化している。それによると、コミュニケーションはまず社会レベルと個人レベルに大別される。社会コミュニケーションはさらに集団、組織、国家、文化というレベルに細分化される。それぞれのレベルは「内」(intra)と「間」(inter)という2つに分割される。よって、個人内、個人間(対人)、集団内、集団間、組織内、組織間、国家内、国家間(国際)、文化内、文化間(異文化)という10のコミュニケーション・レベルに類型化することができる。岡部の類型化に従えば、「国際コミュニケーション」とは国家と国家によるコミュニケーションということになる。

英語は国際コミュニケーションの手段なのか

国際コミュニケーションが国家間コミュニケーションであるということは、それは外交と同義ということになる*1。英語が外交の手段なのかどうかという問いに対しては、イエスであると同時にノーでもある。安倍首相がブッシュ大統領と会談する場合は首相の発言を英語に通訳する必要があるが、胡錦涛国家主席が相手ならば中国語に通訳しなければならない。国連においても安保理常任理事国の使用言語である4言語に加えて、アラビア語スペイン語公用語となっている。したがって、国連の大使や職員の全員が英語を話せなければならないわけではない。

小学校英語教育との関係

英語は国際コミュニケーションの手段だから、小学校から学ぶべきである、という主張は、意味を成さないことになる。確かに英語は国際コミュニケーションで使用される言語の1つではある。しかし、小学生全員が将来、国際コミュニケーションに現場に身を置くわけではない。政治家*2やⅠ種採用の国家公務員*3などのごく限られた人のみが従事する領域である。ごく限られた職業のためでしかないのであれば、小学校どころか、中学校も含めて義務教育課程で英語をやること自体が無意味なものになってしまう。英語を学ぶこと自体は悪いことでも無駄なことでもないが、学校教育においてそれを行うには、もう少し説得力のある理由が必要なのではなかろうか。

参考文献

  • 岡部朗一(1987)「コミュニケーションの基礎概念」古田暁(監修)『異文化コミュニケーション』有斐閣*4

異文化コミュニケーション―新・国際人への条件 (有斐閣選書)

異文化コミュニケーション―新・国際人への条件 (有斐閣選書)

*1:ビジネスの場でのコミュニケーションは企業という組織間のコミュニケーションであり、「国家」を背負ったものではないのが普通である。

*2:主に国会議員。

*3:いわゆるキャリアのこと。Ⅱ種レベルでは外務省の専門職のみが国際コミュニケーションの担い手になると思われる。

*4:改訂版が出てるので、リンクを張っておきます。