持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

中高教員と予備校講師の「自己研鑽」

中高教員の「自己研鑽」

中学校や高等学校の教員(正教員=教諭)になるには、一般に教員免許が必要になるため、教免法で定められた科目を大学の教職課程で履修することになる。とはいえ、教員採用試験は以前ほど学力重視ではなくなっていているから、高度な専門知識を身につけるかどうかの判断は、「教採に出るかどうか」ではなく、どちらかというと本人の興味や関心によるところが大きい。
英語に関していえば、「英語科教育法」の授業内容は大学や担当教員によってかなりのばらつきがあると聞く。方法論に関する専門知識を授業以外でも身につけたいという人であれば、そうした分野を学ぶゼミに所属したりすることも考えられる。この場合、どちらかというと海外の研究に触れることによって、日本の従来からの英語教育をよりよくしようという使命感が芽生えてくることが多い。もちろん、こうした使命感に燃える教員は必ずしも現場に多くいるわけではないから、採用後もワークショップなどに参加しながら自らのモチベーションを高く保とうとしたりする。優秀な教員になると、理論先行に走りすぎることなく、生徒の実情を把握しながら現実的な対応をすることも多い。しかし高校受験や大学受験の対策に関しては、特に公立学校では及び腰になることも多い*1

予備校講師の「自己研鑽」

予備校講師の場合、教壇に立つ上で資格は不要である。修士以上の学位があったり、英語科であれば英語関係の資格があれば優遇するという事例はあるが、「教免不問」というのが一般的である。こうした状況で受験英語を教える者が最初に考えるのが、先行実践者の模倣である*2。1990年代以降の予備校講師は自らが大学受験のときに教わった講師の著作を参考にしながら自分の教え方を確立していくことが多い。
予備校講師の中には、この模倣のレベルでとどまってしまう者が少なくない。理系科目や地歴・公民科ではこういう講師は比較的少ないようだが、英語・現代文・古文ではこの手の講師が大半といってもよい。しかし、予備校講師の中には自分が拠り所にしていた方法論の矛盾に気づく者も出てくる。その段階になると、他の予備校講師の実践や当該科目に関連する専門書を読んだりしながら、打開策を見いだしていくことになる。ここまで来ると、予備校講師という仕事が他の講師との闘いから自分との闘いに変化していく。方法論を修正しては教室で実践し、生徒の反応次第でさらに再修正を試みる。この繰り返しである。このような予備校講師は受験指導の枠を超えて、中高教員や大学教員も学ぶべきノウハウを蓄積していることが少なくない。

対話の必要性

いかなる環境で教える者でも、視野は広く持つべきである。そして広い視野も持つ者同士で対話を重ねていく必要がある。校種や科目を超えた交流が日々の実践を見直す視点を提供してくれるはずである。また実践者と理論研究者の交流も同様の効果をもたらすはずである。私自身、そうした交流を積極的に持つようにしていきたいと考えている。

*1:しかし、本当に問題なのは入試問題もろくに見ないで「これは入試に出るぞ」と脅しながら熟語や特殊構文を生徒に暗記させる教師である。大都市圏以外の進学校や小規模塾ではこういうタイプの教師が少なくないようである。

*2:またはパクるともいう。