持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

和訳はダメなのか?

大学入試に和訳が出ているということ

靜(2006a,b)では、大学入試の英語問題における最大の問題点は下線部和訳問題*1にあると指摘している*2。この問題点に関して、靜(2006b)から3つの論点を引き出すことができる。

  1. 入試に下線部和訳問題が出題されることの問題点
  2. 学習活動としての訳読の問題点
  3. 下線部和訳問題の対策を講じる教師の問題点

3.に関して靜は直接的には言及していない。しかし、下線部和訳問題を想定して学習する受験生が、筆者の意図を読み取ろうという姿勢を欠いたままになるという指摘の背後には、下線部という局所的な理解のみを重要視する教師(高校教師・塾/予備校講師)が存在しうることは容易に想像できる。そして、こうした教師が文法構造の解析こそが「英文読解」なのだという考えを広めてしまっていることも事実である。
しかし、このことは下線部和訳の問題が悪いのではない。下線部和訳の対策を歪めている教師が悪いのだ。また下線部和訳という問題形式の是非と、学習活動としての訳読の是非は本来別の問題である。問題形式が学習のあり方を規定することは否定できないが、試験対策を適切な形で行えない教師がいる限りは、どのような問題形式を用いても状況は変わらない。

訳読は訳毒なのか?

訳読の問題点は大きく2点ある。1つは英語の語順で理解することが阻害されること、もう1点は、機械的に訳語に当てはめるために英語の理解につながらないことである。
前者は訳読自体を語順に即して行えばいいだけのことである。予備校の現場では、以前からこうした実践が行われている。また靜が高校現場で行われているというフレーズリーディングにしても、サイトトランスレーションと組み合わせることによって直読直解を意識化することができる*3。これは広義での訳読である。フレーズリーディングやサイトトランスレーションがすらすらとできるようになるには訓練が必要である。その訓練の過程で、返り読みをしてしまうことも考えられる。またこうした言語活動は英語の語順に関する知識を身につけていることが前提となる。いわゆる読解文法*4であるが、これは文法問題などを解くことで身につくものではなく、英文を読むことによってしか身につけることはできない(山本2006)。ここでも日本語に訳してみることによって日本語との語順の違いを意識したりすることもある。
後者に関しては、「いきなり訳す」ということを排除することが必要である*5。靜の言う「幹と枝葉の区別をつけながらメインポイントが読み取れる」ような指導が必要である。こうしたパラグラフリーディングを和訳に先立って行うことで、訳さずに英文を理解することに近づけるし、和訳も表面的でなく文脈に即した日本語表現を吟味したものにすることができる。

英語のテスト・学習に日本語は不要か?

靜(2006a)は「テスト理論の立場」から、英語ネイティブスピーカーが受ければ満点が取れる形式が理想であると述べている。これは英語のテストから日本語を排除すべしという主張である。しかし柳瀬(2006)はこれに反対の立場をとる。柳瀬は英語は日本語の洗練・深化とともに習得されるべきではないかと示唆している。この観点に立てば、翻訳問題のレベルに昇華した和訳問題であれば、和訳も決して問題形式として悪いものではないといえる。

主題と無関係の下線部を訳すことの意義とは?

靜(2006b)は、下線部和訳問題において、内容的に必ずしも重要ではなく、語彙的構文的に難解な部分に下線を付す傾向があることを指摘している。確かに「読解問題」がこのような和訳問題した出題されないとしたら歓迎されるものではない。しかし文章の読み方とは、読み手の目的によって取捨選択するわけで、書き手にとって重要なところだけを読み手が読むわけではない。読み手にとって知りたい情報が述べられている箇所が、自らの文法力や語彙力の不足によって理解できないとしたら、読み手は残念がるであろう。そういう場合に備えての下線部和訳ということであるならば、別にどこに下線を引いてのよいのではなかろうか。
行方(1994)は、抽象度が高く漠然とした文に下線を付したものがすぐれた下線部和訳問題であると述べている。この場合、解答者は前後の文を読まなければ下線部の意味を明確に把握することができないからである。場合によっては当該パラグラフ全体を読まなければ訳語が確定しないこともあるかもしれない。行方の考えに従えば、和訳問題として下線を付ける箇所はトピックセンテンスであることもあるし、トピックセンテンス以外のcontrolling ideaやmajor supporting sentenceと呼ばれる箇所かもしれない。いずれにしても、パラグラフの内部では統括性が保たれているため、下線部に曖昧なところがあれば、そのパラグラフの他の箇所から明確化することが可能なのである。

参考文献

  • 行方昭夫(1994)『英文快読術』岩波文庫*6
  • 靜哲人(2006a)「これでいいのか、大学入試問題 英語教育およびテスト理論の立場から」『英語青年』152(1) pp.2-5.
  • 靜哲人(2006b)「もう本当に和訳はやめてほしい」『英語教育』55(3) p.41.
  • 山本恭弘(2006)「『日本語訳』と『英検活用』と『発信型英語』と」『英語教育』55(3) pp.90-91.
  • 柳瀬陽介(2006)「入試英語問題の批評空間を創り出す」『英語青年』152(1) pp.22-24.

英文快読術 (岩波現代文庫)

英文快読術 (岩波現代文庫)

*1:下線部和訳問題に関してはhttp://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20060214でも触れている。

*2:靜先生の記事を巡る議論は、すでに松井孝志先生(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060519)もしておられます。

*3:サイトトランスレーションは直読直解(順送り理解)を意識化することに加えて読解文法の定着を図る上でも有効である。http://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20060518でも触れている。

*4:これについてはhttp://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20051121でも触れている。

*5:この方法論に関する私案はhttp://d.hatena.ne.jp/ownricefield/20051218で示している。

*6:岩波同時代ライブラリーとして刊行されましたが、後に岩波現代文庫なっています。