持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

英語の意識的学習と日本語の知識

英語の意識的学習の重要性

日本語を母語とする大人が外国語として英語を学習していく際に重要なのは、英語の知識を意識的に学習していくこと(conscious learning)である。阿部(2004)は、この理由を大人の持つ分析的な特性を生かすことが効果的であるからであると指摘している。
この分析的特性に訴えるアプローチでは、語彙や文法といった英語の知識をどのように捉えていくのかが非常に重要になる。つまり、「英語をどう教えるか」と並んで「英語として何を教えるか」ということを考えていく必要があるのである。

意識的学習と言語転移の問題

阿部(2004)は、学習者が母語の表現形式をそのまま目標言語の移行させる傾向があることを指摘している。学習者は目標言語(ここでは英語)の知識を学習する際に、母語(ここでは日本語)で対応するものを求める。換言すれば、学習者は英語と日本語を一対一の単純な対応関係で捉えようとする傾向があるということである。このため日本語と英語で表現の仕方に違いがある場合には、誤った表現形式を使用し続けてしまうおそれがある。
こうした問題を解決する方法として「意識化」(consciousness raising)がある。意識化のもっとも単純な方法は、言語知識を明示的に説明し、それを練習問題などによって確認させる方法である。これよりも手の込んだ方法としてはFocus on Formと呼ばれる、言語活動の中で言語形式に気づかせるものがある。

意識的学習における「背後の理屈」

教師が「これは日本語と英語では違う」という説明をした場合、学習者はそれを例外現象としてそのまま鵜呑みにしてしまうことがある。しかしそれでは「これも日本語と英語で違う」「あれも違う」というように例外の羅列をひたすら学習者が暗記するという事態に陥ってしまうのは明らかである。この場合、こうした知識の暗記に膨大な時間を費やすことになり、知識を実際の言語活動の中で運用していく段階にまで至らないことが多い。これが「知識の詰め込みでは英語ができるようにはならない」と批判される所以である。
しかし、これは知識の明示的学習そのものを否定するものではない。大切なのは言語知識の明示的学習の効率を高めて学習にかかる時間を短縮し、捻出した時間を実際の(もしくは実際的な)言語活動で当該言語知識を運用することに割り当てることである。そのためには日英語の表現形式の違いを、その背後にある理屈にまで掘り下げた、一般的な説明を行うことが必要である。
この「背後にある理屈」とは、表現形式の背後にある、言語主体による事態認知のレベルの知識を指す。同じことを表すのに日本語と英語では発想が違うと言われるが、これは同じ事態を表す場合でも、日本語と英語では事態の把握の仕方に違いがあるからである。日本語を母語とする学習者にこの違いを教え、もしくは気づかせるには、日英両言語を共通の理論的枠組みで分析・記述することが求められる。

「背後の理屈」と日本語文法

日英語を共通の枠組みで分析・記述していくということは、国語教育における文法の枠組みを見直すことにつながる。日本語と英語の言語事実そのものに違いがあるだけでも学習者には負担であるのに、国語教育と英語教育で学習文法の枠組みに違いがあれば、その負担はさらに重くのしかかることになる。
従来の「学校文法」は国文法と英文法で別の枠組みで記述されている。このため学習者が日本語と英語とを一対一の関係で捉えることに、良くも悪くも干渉してきた。日英語の類似点が見逃され、相違点も正しく捉えることが困難であった。「文法をやっても英語ができるようにならない」という批判の背景には、こうした事情も作用していたのかもしれない。

参考文献

  • 阿部一(2004)「英語教育における「認知的」な立場とその知見の応用可能性」『獨協大学英語研究』60 pp.333-355.