応用言語学としての学習文法理論
原理なき援用の危うさ
理論言語学と応用言語学では目的を異にするため、それぞれを支える文法理論もまた構成を異にするはずである。馬場(1992)やCelce-Mucia and Larsen-Freeman(1999)が指摘するように学習文法における言語記述の方法そのものは折衷的でよい。しかし「分類法」(classification)や「説明」(explanation)に一貫性がなければただの知識の寄せ集めになってしまう。知識の寄せ集めとしての学習文法は学習者に知識の丸暗記を強制することにつながりかねない。
これまでは、安井(1996)などに見られるように、伝統的な学校文法の枠組みを保持することが暗黙の了解とされ、その枠組みの中に新しい言語学の知見を盛り込もうと試みられてきた。しかし新しい言語学の知見を盛り込むということは、従来の学校文法にはない概念をどのように取り込んでいくか、また理論言語学と学校文法における分類法の違いに対してどう折り合いをつけていくのか、といった問題を解決しないまま新たな知見を盛り込んでも、細かな知識が増殖するだけで教室での文法学習がより効果的になるとは言い難い。例えば「深層構造」という概念をどう扱うのかをよく考えないまま生成文法の知見を取り入れるのは、学習者にとって有益でないばかりか、有害である可能性すらある。
言語学をはじめとするさまざまな知見を活かしつつ、学習者のよりよい言語学習や言語運用に貢献できる学習文法を考えていくには、その理論的基盤として理論言語学とは異なる独自の「文法の組織」を構築する必要がある。
「学習文法」の目的
伊藤・島岡・村田(1982:275)は、「学習文法」の目的として「英語なら英語の学習を促進し、英語の運用能力の基盤となるという実際的目的」を掲げている。伊藤らは学習者の知的発達や学習の段階に応じて「学習文法」の内容・記述の仕方・体系が異なると指摘しているが、学習文法と学習文法理論を区別をすれば、前者は伊藤らの指摘の通り柔軟にその内容を変えていく必要があるが、後者はある程度の一般化が図れるはずである。
伊藤らは、従来の学習文法が5文型・8品詞を一貫して保持してきたのは、学習者の素朴な言語感覚に比較的合致するためであると分析している。しかし5文型の学習に困難を覚える学習者が少なくないことはすでに知られるところであり、学習文法理論では学習者の言語感覚にさらに合致する文法を目指していかなければならない。