学習文法のグランドデザイン③
教師のための参照用文法
Corder(1988)は外国語教師のための文法について論じている。Corderによれば、外国語教師のための文法書とは、母語話者が使用する文法書としての側面と教授用資料としての側面が求められるという。しかしそうした目的で書かれた文法書であっても、文法知識を学習者に提示するための具体的な方法に触れていないものが多いと続けている。その理由として仮に具体的な提示法を提示しても、教師がその通りに指導できる可能性が低いという判断を文法書の著者が下しているためだと指摘している。そのうえで外国語教師のための文法書の目的を次のようにまとめている。
To systematize the implicit or explicit knowledge of the teacher in a form which is pedagogically appropriate for his (nonnative speaker) pupils.(Corder1988:128)
具体的な提示法が示されない文法書では、教師用と学習者用が明確に区別できないことが多く、日本語で書かれた文法書にもこの傾向が見られる。次に示すのは学習者向けの文法書のはしがきである。
この間高校生はもちろん、短大・大学の学生諸君、高校・大学の英語の先生方、それに一般社会人など、実にさまざまな人々に読まれてきた。(江川1991:i)
次にはしがきを示す文法書は当初より幅広い読者層を想定しているものである。*1
本書の予想する読者は、英文法を掘り下げて考えようとする高校生・大学生をはじめとして、中学・高校・大学の英語教師、英語にかかわり、または関心のある一般社会人、および研究者である。(安藤2005:v)
もちろん教授用資料ということを意識した文法書も存在する。綿貫・淀縄・Petersen(1994)はその一つであるが、体系性よりも「教師が躓きそうなところ」に重点を置いた構成となっている。また安藤(1983)などは体系性は見られるものの、入門期の学習者を対象とするときに参考となるような情報が少ないように思われる*2。これから必要な教師用文法書とはあらゆる学習者、あらゆる指導法に対応できるものでなければならない。それは一般的な上級学習者向けの文法書とも、英語学の概説書とも違ったものになるはずである。
参考文献
- 安藤貞雄(1983)『英語教師の文法研究』大修館書店.
- 安藤貞雄(2005)『現代英文法講義』開拓社.
- Corder, P. (1988)“Pedagogic Grammars”in Rutherford, W. and Sharwood Smith, M. eds. Grammar and Second Language Teaching. Boston: Heinle & Heinle.
- 江川泰一郎(1991)『英文法解説改訂三版』金子書房.
- 綿貫陽・淀縄光洋・Petersen, M. F. (1994)『教師のためのロイヤル英文法』旺文社.
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*1:こんなものを高校生が?と思われるかもしれないが、90年代初頭の大学受験生のなかにはSwanのPractical English UsageやThomson and MartinetのPractical English Grammarを持ち歩く者が少なくなかった。団塊ジュニア世代の受験競争がいかに厳しいものであったかを物語るエピソードである。
*2:こういう言い方をすると、文法書はどれも教師の役には立たないと思われがちだが、そうではない。複数の文法書に目を通して日々の授業に活かしていく必要がある。このブログで今回論じていることは、「教師用」ということに徹した参照用文法書があれば、教師が文法のために割く時間や労力を大幅に削減でき、より創造的な授業ができるのではないか、という趣旨に基づいている。