持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

認知言語学

認知言語学」とは何か

認知言語学には理論的・方法論的に確立した単一の枠組みは存在しない*1。田中(1992)は、認知言語学の目標を次の3つにまとめている。

  • 心的表象された言語の特性を明らかにすること
  • 言語の心的表象の過程の仕組みを明らかにすること
  • 言語の運用の仕組みを明らかにすること

「心的表象」とは人間が頭の中で世界をどのように捉えているかを示すものである。心的表象を生み出すには何らかのシステム(=表象体系)が働いていると考えられている。言語もそうした表象体系のひとつであり、そのからくりを明らかにしようとするのが認知言語学なのである。このことは言語の側から見れば、言語の背後にある人間の認知能力と関連づけて言語現象を捉えていくことになる。

生成文法との違い

認知言語学生成文法との違いを吉村(1995:39)は「生成文法が言語の本質を統語の持つ形式的特性に見いだそうとするのに対して、認知言語学では形式と意味との有契性にその本質を見いだしている」と指摘している。生成文法では言語知識に関する計算メカニズム(文法)は他の認知システムから独立していると考えられている*2生成文法が自律的な統語部門を中心に据えているのはこのことと関係している。これに対して認知言語学では言語をコミュニケーションの手段として機能する記号系と見なす考え方に立ち返り、そのプロセスは文脈的意味を柔軟に取り込みながら創造的な理解・表現を可能にするダイナミックな情報処理プロセスとして考えられている。認知言語学はそうした言語運用とその背後にある人間の認識のメカニズムとの相互関係を捉えていくアプローチなのである*3

認知言語学研究の多様性

認知言語学ではLangacker(1991)などで言われているように、文法を形式と意味を連続的に捉える「記号体系」として捉えることが一般的であるが、そうではない研究も存在する。例えばJackendoff(1990)では心的表象として「概念構造」(conceptual structure)を扱うものの、Jackendoff(1972)以来の統語論の自律は保持されている。また中右(1994)も自律的統語論を仮定しており、Jackendoffに近い立場をとる。山梨(2000)はこうした折衷的なアプローチを一貫性を欠くものとして批判している。

応用言語学としての立場

認知言語学は言語の意味に正面から向き合っているという印象を与えるため、生成文法よりも言語教育・言語学習に援用しやすいと考えられがちである。実際に1990年代以降は認知言語学、とりわけ認知意味論の研究成果が学習文法に活かされるようになってきた。しかしこれは、すでに旧来の学校文法をすでに学習している学習した学習者に、その知識を活性化させる視点を提供するという趣旨のものが多い。学習対象言語の知識をゼロから学習する学習者のために、教師が把握すべき「学習文法の全体像」を考えていく場合、生成文法を捨てて認知言語学に盲従するような姿勢には問題があるといわざるを得ない。
また、学習文法に限らず言語習得全般を見渡した場合は、生成文法のUG-based SLA認知言語学の用法基盤モデル(Usage-Based Model)の双方を検討していく必要がある。その過程で我々は第2言語習得過程の研究としての妥当性と言語知識の記述のための研究としての適切性を区別する必要がある。つまり、UGに基づく「第二言語獲得」の研究が成果を上げているからといって、生成文法に基づく学習文法が必要とは言い切れないし、またUBMに基づく「第二言語習得」のメカニズムが明らかになったとしても認知言語学に基づく学習文法が必要とは断定できないのである。

参考文献

  • Jackendoff, R. (1972) Semantic Interpretation in Generative Grammar. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Jackendoff, R. (1990) Semantic Structures. Cambridge, MA: MIT Press.
  • Langacker, R. W. (1991) Concept, Image, and Symbol. Berlin: Mouton de Gruyter.
  • 中右実(1994)『認知意味論の原理』大修館書店.
  • 西村義樹(1997)「認知言語学の潮流」『英語青年』142(12) pp.2-6.
  • 田窪行則(1995)「認知科学としての言語理論」橋田浩一・大津由紀雄・田窪行則・杉下守弘『岩波講座認知科学7 言語』岩波書店
  • 田中茂範(1992)「認知意味論的探求(1):一般化・典型化・差異化」SFC Journal of Language and Communication. 1 pp.33-81.
  • 山梨正明(1995)『認知文法論』ひつじ書房
  • 山梨正明(2000)『認知言語学原理』くろしお出版
  • 吉村公宏(1995)『認知意味論の方法』京都:人文書院

*1:西村(1997)は生成文法では単一の枠組みが存在すると指摘しているが、これは近年Chomskyらがgenerativeという用語を従来よりも狭い意味で用いているためである。この用語の問題については後日改めて扱うことにする。

*2:田窪(1995)を参照。

*3:このため認知言語学では生成文法が前提とする「言語能力」と「言語運用」に区分を認めない。