持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法の概念②

今日は学習文法の概念の続きで、1998年11月に行ったミニレクチャーのハンドアウトの一部をアップします。

理論言語学と応用言語学の不適切な関係

応用言語学と聞くと、一般的には理論言語学の知見を一方通行的に借りてきて何かに応用する、というイメージがある。このイメージゆえに理論言語学が応用言語学より「高尚である」という幻想を抱きがちである。この場合、言語理論が変わると、その新しい理論を応用して新しい「応用言語学」として再出発することを余儀なくされる。しかし、この「金魚のフン式応用言語学観」に甘んじている限り、応用言語学の存在意義を見いだすことは難しい。
応用言語学の可能性について、田中・白井(1994) は研究対象の違いを根拠に理論言語学と応用言語学とを分離してとらえてはじめてその存在意義を見いだし得ると主張している。すなわち、理論言語学が言語そのものを研究対象とするのに対して、応用言語学では言語習得・言語使用などを研究対象とし、研究対象が異なる以上別個の学問領域と考えるべきである、ということである。
言語習得や言語使用を研究するためには、言語についての認識を持つことがどうしても必要である。応用言語学は理論言語学と分離させて捉えるべきではあるが、理論言語学のよいところは利用していかなければならない。このとき重要なことは「何のための研究か」という問に対する明確な答えを持っていることが重要である。そうでなければ理論言語学パラダイム・シフトに巻き込まれてしまい、その「不適切な関係」を断ち切ることができないのである。

"My Applied Linguistics"という思想

応用言語学には理論言語学とは別個の研究対象があるということはすでに述べたが、単に応用言語学の文献を読むことが「応用言語学をする」ことであると考えてはならない。応用言語学の研究を行うためにはまず自らを「研究する主体」として措定する必要がある。そして「自分は何のために応用言語学をやっているのか」という問いを自らに発し、それに対する明確な解答を用意しなければならない。この手続きがしっかりしていなければ、研究は砂上の楼閣に終わる。漠然と「英語教育」や「日本語教育」と考えていても目が粗すぎる。要は自分だけのオリジナルの研究対象を持つこと、これが一番重要なのである。

学習文法と言語理論

教師の持つ明示的文法知識と文法指導を当面の研究対象とした場合、より具体的には次の2つのテーマを扱うことになる。

  1. 学習経済性を追求した文法現象の記述
  2. 文法の導入の仕方、順序

1.はわかりやすく言えば「わかりやすさ」を追求することである。従来から教えられられてきた文法概念の中には、現実の英語の中では大して重要な役割を持っていないものも少なくない。たとえば「格」である。Fillmore 流の「深層格」を問題にするならばともかく、伝統的な表層の「文法格」のみを扱うのであれば「主格」「目的格」という概念はやや大げさに聞こえる。こうした問題に対処するために現実の英語の現象を直視することから逃れることはできない。
現実を直視するとき、「はじめに理論ありき」という姿勢をとってはならない。それぞれの理論には特有の視点が存在し、その固定した視点によって本質を見失いかねないからである。したがって学習文法が依拠する言語理論は折衷的なものになる。以下では1.における議論を中心に進めていく。

学習文法のための言語理論

すでに述べた通り、学習文法が拠とする言語理論は単一のものではなく複数の理論を援用する折衷的なものとなる。その折衷のさせ方は以下のようになると思われる。

  1. 学習文法全体をカバーするマクロ的理論
  2. マクロ的理論に連動するかたちで援用する個別理論

1.は深谷・田中(1996)、田中・深谷(1998) や時枝(1937)の言語論に求めることができよう。これらの理論では言語を動的なプロセスとして捉えているところが、「使える文法」には好都合だからである。ただ、後述するモジュールの問題もあり、よりシンプルな時枝の枠組みを軸にまとめていくというのが、いまの私の流儀である。
2.には生成文法認知言語学などの言語理論、Jespersen, Poutsma, Curme らの伝統文法、英語史、国語学、第2言語習得研究などの知見が含まれる。 生成文法などの一部の言語理論においては、田中・白井(1994) も指摘するように、言語をいくつかのモジュールに分解し、統語論や音韻論などを発展させてきた。これに対して応用言語学においては学習過程および言語運用におけるコトとしての言語を扱うと田中らは言う。
確かに学習文法の言語理論においてもマクロ的視座に立てば言語をそのような複雑系として捉えていく方が望ましいと言える。しかし、教室での明示的な文法指導を念頭に置いた場合、複雑系複雑系として学習者に提示するのはあまりにも無謀ではなかろうか。実際に学習者に文法事項を提示することを考えれば、理論言語学とは別のモジュール、たとえばCelce-Murcia and Lasen-Freeman(1999)の言う「3つの次元」(The Three Dimensions)すなわち「形態統語論レベル」「意味論レベル」「語用論・社会言語学レベル」のようなものを措定しておくことが必要であるように思われる。

参考文献

  • Celce-Murcia, M. and Larsen-Freeman, D. (1999) The Grammar Book An ESL/EFL Teacher's Course. 2nd ed. Boston, MA: Heinle & Heinle.
  • 深谷昌弘・田中茂範(1996)『コトバの<意味づけ論>』紀伊國屋書店
  • 田中茂範・深谷昌弘(1998)『<意味づけ論>の展開』紀伊国屋書店
  • 田中茂範・白井恭弘(1994)「理論言語学と応用言語学どちらが高尚か」『現代英語教育』31(7) 44-47.
  • 時枝誠記(1937)「心的過程としての言語本質観」『文學』5(6) pp. 1-30, 5(7) pp. 1-21.