持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習過程モデルにおける学習文法の位置づけ

従来の文法指導ではリスト化された知識の羅列として文法が扱われてきた。これはあくまでもリストであり、辞書のように引いて参照するための文法としてはよいが、学習者が学習することを考慮したもにはなっていなかった。学習を考慮に入れる場合、学習者がどのように学んでいくのかという、学習過程というものを考えていく必要がある。
阿部(2000)や田中(1987)では次のようなモデルを取り上げている。

①Language Input→②Mental Process→③Outcome and Storage Retrieval

Language Input

言語入力とは学習者が聞いたり読んだりして得る言語知識であるが、ここで重要なのは明示的な文法学習により得た知識と実際に聞いたり読んだりする活動の中で得た知識では処理のされ方にどのような違いがあるのかという点である。

KrashenのInput Hypothesis

Krashenは言語入力について、非明示的で無意識的な「習得」(aquisition)と明示的で意識的な「学習」(learning)を区別し、前者のみが言語運用能力の獲得につながり、後者の役割は極めて限定されたものとなるという立場をとる。田中(1987)が言うように、教室での英語学習は明示的なものになる傾向があり、実生活で身につける言語知識は非明示的なものになる傾向があるから、Krashenの立場に立てば従来のような形での文法指導が果たす役割は非常に小さいものとなる。このためKrashenの主張に従えば教室においても言語入力を豊富に与えることが重要ということになる。
ここでKrashenが想定している言語入力とは「理解可能な言語入力」(comprehensible input)と呼ばれるもので、学習者の言語能力iを若干上回るi+1となる言語入力である。こうした理解可能な入力が十分に与えられると学習者の言語理解が促進され習得につながるという。これは普遍文法(universal grammar)の観点から言えば第2言語の習得においてもLADが機能するという立場に立つものである。言語入力との接触は学習者にとって無意識的な活動であり、学習者は言語規則を意識することなく感じることによって正しい表現を発することができるようになると考えられている。一方、学習者が意識的に学習して得た明示的な知識は話したり書いたりする際に文法構造の適否を確認するための「モニター」としての役割しかないという。

Input Hypothesisへの反論

Krashenによれば習得とは意味重視の過程であり、i+1という言語入力は文脈や言語外情報によって理解されるという。しかしWhite(1987)は、文法能力は意味や文脈によってのみ習得されるものではなく、またi+1となるように調整された言語入力では習得に有害となる可能性を指摘し、言語構造についての指導や誤りの訂正が言語習得を促進すると述べている。
これに対してMclaughlin(1978)はKrashenの意識・無意識という基準で習得と学習を区別するのは曖昧であるとして、「制御的処理」(controlled process)と「自動的処理」(automatic process)という区別を設けている。制御的処理とは積極的な注意を要する、短期記憶による過程であるのに対し、自動的処理は注意を要しない、長期記憶による過程である。Mclaughlinは学習によって制御的処理から自動的処理に移行するという立場をとる。自動的処理は確立されるまでにかなりの時間がかかるが、一度確立してしまえば変えにくいものである。Mclaughlinの立場に立てば、明示的な文法知識も制御的処理の下で繰り返し使用することで内在化し、自動的処理に移行させることができるため、Krashenの仮説の場合よりも文法学習に積極的意義を見いだすことができる。
早坂・戸田(1999)は、Chomsky(1966)のLADによるモデルを取り上げているものの、Krashenとは立場を異にし、Lennebergのいう臨界期以降は、母語獲得と同じようにはLADが機能しないと考えるべきだと主張している。早坂らによれば、臨界期後のLADに与えるべき言語資料はKrashenの言う理解可能な言語入力のような、周囲からのランダムな言語入力ではなく、体系的な言語資料でなければならないといい、文法学習に関しても言語資料から文法を帰納的に抽出させるよりも文法のモデルを与えることによって演繹的に文法能力を養成すべきであると言う。

M(G2) → (AD) → G2 (早坂・戸田1999: 14)

明示的な文法指導の必要性

Krashenの提唱したinput hypothesisでは、自然な形でインプット環境を整えることさえできれば必ずしも言語の形態などに注意した指導をしなくても習得は可能であると言われる。しかしSharwood Smith(1981)によると、言語構造についての明示的説明を一切認めないような言語指導は相当な時間と労力が必要であるという。多くの学習者や指導者にとって説明は近道であり、特に知性面で成熟している成人の学習者は明示的説明を望むと言っている。ただしSharwood Smithは言語構造を学習者に気付かせることが必要なのであって、文法規則を学習者自身が説明できるかどうかは問題ではないと言っており、必ずしも旧来型の文法指導を支持しているわけではない。
Celce-Murcia (1991)は文法指導を捨ててはならないという。これは文法を教えないことが第2言語や外国語の学習者にとって究極的に有益であるという説得力ある証拠がないからだと述べている。その上で、授業の中でどの程度文法を扱ったらよいかを、学習者の変数(leaner variables)と指導上の変数(instructional variables)を基準にしてモデル化している。学習者の変数で見ると、そこでは母語での読み書きのできる成人は最も文法指導が重要であると位置づけられている。またCelce-MurciaはCanale and Swain(1980)のコミュニケーション能力(communicative competence)を踏まえ、意味や社会的機能や談話と結びつけて文法を教えるべきだと述べている。しかし学習者の誤りについては前置詞の用法などのlocal errorsよりも語順や接続詞の用法などのglobal errorsのほうがコミュニケーションの破綻につながりやすいとも指摘しているため、英語と語順を異にする日本語を母語とする学習者にとっては統語知識も決して軽視はできない。

学習過程モデルにおける学習文法の位置づけ

田中(1987)によれば言語入力には認知処理されやすいものとそうでないものがあるという。これは直観的には易しいものは認知処理されやすく、難しいものは処理されにくいということになるが、問題はその「難易度」をどう決定するかである。この難易度の基準の例について田中は次の4つをあげている。

  1. 言語間のずれ(cross-linguistic differences)
  2. 統語的複雑さ(syntactic complexity)
  3. 意味的複雑さ(semantic complexity)
  4. 関連性(relatability)                 (田中1987: 4)

Mental Process

  1. 誤った表現(misrepresentation)
  2. データ収集と規則の形成(data-gathering and rule-forming)
  3. 全体的と分析的表現(holistic and analytic)
  4. 知識の自動性(automaticity of knowledge)       (田中1987: 6-7)

1.の誤りについては誤答分析(error analysis)として従来から研究されてきた。誤りを大きく分類すると、母語に依存した転移エラー(transfer errors/L1-dependent errors)と母語に依存しない発達的エラー(developmental errors/L1-independent errors)に分けられる(田中・阿部1988)。また誤答分析の際においては、学習者の年齢や学習環境(外国語を使う機会の多寡)、さらに言語領域(音韻・語形・統語・語彙・談話)などの変数を考慮すべきと考えられてきた。

(2)の規則形成については次のようなことが考えられている。つまり、学習者が読んだり聴いたりして得た言語資料を処理しようとする場合、既存の知識を積極的に利用していく、ということである。このときに母語の知識を既存の知識として利用することも考えられる。この場合、目標言語(外国語、ここでは英語)のデータを処理するために母語の認知構造とデータを結びつけるプロセス(interlingual mapping:言語間の写像)が想定される。

Outcome and Storage Retrieval

記憶した言語知識がどの程度引き出せるか、つまり知ってはいるものの使えないという現象を解明し、使えるためにはどうすればよいのかを考えていく必要がある。

参考文献

  • Canale, M. (1983) "From Communicative Competence to Communicative Language Pedagogy" In J. C. Richards and R. W. Schmidt eds. Language and Communication, London: Longman, pp. 2-27.
  • Canale, M. and M. Swain (1980) "Theoretical Bases of Communicative Approaches to Second Language Teaching and Testing," Applied Linguistics 1(1) pp. 3-47.
  • Celce-Murcia, M. (1991) "Grammar Pedagogy in Second and Foreign Language Teaching," TESOL Quarterly, 25(3) pp. 450-480.
  • White, L. (1987) "Against Comprehensible Input: the Input Hypothesis and the Development of Second-language Competence," Applied Linguistics 8(2) pp. 95-110.
  • Mclaughlin, B. (1978) "The Monitor Model: Some Methodological Consideration," Language Learning 28(2) pp.309-332.
  • Sharwood Smith, M. (1981) "Consciousness-Raising and the Second Language Learner" Applied Linguistics. 2(2) pp. 159-169.
  • 阿部一(2000)「コミュニケーション能力の習得を目指した新しい『実践教育文法』の考え方とその実践の試み」『獨協大学外国語教育研究』18 草加獨協大学外国語研究所.
  • 早坂高則・戸田征男(1999)『リストラ学習英文法』松柏社
  • 田中茂範(1987)「外国語学習における意味発達:単語の学習」田中茂範編著『コアとプロトタイプ』三友社出版,pp.3-22.
  • 田中茂範・阿部一(1988-89)「外国語学習における言語転移の問題」『英語教育』37(9-11).