持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

学習文法の概念①

今日扱うのは、以前に書いた学習文法の考え方の理論的な背景となるものです。

馬場(1992)と伊藤・村田(1982)

文法項目(grammatical items)や文法規則(grammatical rules)の指導・学習に関わるものをカバーする概念として広義の「学習文法」がある。広義の「学習文法」は次の5つの概念を含みうる。

  1. 学習者の文法(LEARNER'S GRAMMAR)
    1. 文法学習([the act of] learning grammar)
    2. 文法知識(knowledge of grammar)
    3. 文法知識の活用(access to knowledge of grammar)
  2. 教師の文法(TEACHER'S GRAMMAR)
    1. 文法の明示的知識(explicit knowledge of grammar)
    2. 文法指導([the act of] teaching grammar)

 (馬場1992: 23)

このなかで、一般的に「学習文法」が意味するのは、2.1の教師の持つべき「文法の明示的知識」ないしは2.2の「文法指導」であると馬場は言う。馬場はこの概念を、英語ではSharwood Smith (1981) の言う pedagogical grammarに相当すると言っている。したがって狭義における学習文法とは、教師の明示的文法知識と文法指導との2点からなるもので指導論的文法 (pedagogical grammar: PG) とでも呼べるものである。
馬場のこうした定義に対して伊藤・村田(1982) では学習文法を「英語学習の過程で英語の運用力の基盤として学習者によって形成されてゆく、ないしは形成されてゆくことが期待される文法的知識を記述したもの」(267)と規定している。この場合、馬場のものとは対照的に学習者よりの定義を採用しているようにみえる。しかし馬場は次のように続けている。

「指導に関わる文法であるからには、狭義の「学習文法」(=PG)は、その目的として、学習者による目標言語の習得を促進 (facilitate) することを目指したものであり、また、その研究は、学習の心理的プロセス、そして指導と学習の interaction に及ぶものである。PGは、言語教育のあらゆる研究がそうであるように、言語学、心理学、教育学、社会学、およびその関連分野 (hyphenated areas) を射程に入れた研究対象である。」(馬場1992: 24)

したがって両者の定義は、決して異なった方向性を持つものではないと言えよう。

Sharwood Smith (1981)

Sharwood Smith(1981)は、学習文法(pedagogical grammar)が特定の言語理論にのみ依拠するものではなく折衷的なものであると述べている。ただし折衷的とはいっても何の根拠もなく漫然と理論を利用するのではなく、学習者の必要とする文法を言語学、心理学、そしてときには社会学の知見などを活かして記述していくことが肝心であると主張している。
この記述の方法には2種類があり、1つは教師や上級学習者向けの参照用文法となり、幅広い用途に対応するconcentratedなもので、もう1つは特定の学習者や指導法に対応するextendedなものである。Sharwood Smithは学習文法の体系化にあたって、まずconcentratedな記述を行い、それをextendedな文法に応用すべきであると提案している。
Sharwood Smithは学習文法のconcentratedな記述を行う場合は、包括的でなければならないと主張している。包括的であるということは統語論や形態論のみならず意味論や語用論を含むものでなければならず、理論言語学者が対象とする文法の範囲を超えるものとなるが、理論言語学で十分研究されていないという理由で学習文法から必要な知見を除外してはならないと主張している。

文法学習と英語学習

このような文法の明示的な知識や文法指導という概念は、英語を学習対象とすることを前提としている。確かに従来は英語を学び、その上でコミュニケーションをするという見方が一般的であったが、田中(1997)ではまず行為があって、それによりコミュニケーションが生じ、そのなかで英語の運用能力を高めていくという、Action・Communication・Englishの実践の流れを重視している。
田中の主張から明らかなのは、言語知識の意識的な学習は無条件に必須というものではなく、また意識的学習さえ経ればそのうちにの知識を用いてコミュニケーションができるようになるという単純なものでもないということである。この問題は言語学習と言語使用の本質をできる限り明らかにしたうえで両者の接点を見いだしていくことで解決していくこととなろう。
また霜崎(1997)は、「使える英語」を教えるには「使える英語」を知識として教えることではなく、現在すでに身につけている英語をコミュニケーションの場において使えるものにしていくことが必要で、そのためにはコミュニケーションの場を確保することが必要と言う。知識を運用に結びつけていく道筋を明らかにしなければ「使える英語」にはならないのだから、霜崎の指摘は至極当然と言える。問題はそれに先立つ「すでに身につけている英語」をどう身につけるかということになる。コミュニケーションの場で使えるようにすることを前提とするのであれば、文法を知識として教えるとしても「使いやすい」文法を目指す必要がある。
以上の点から、学習文法を考えていくには教室における明示的な指導という方法を漫然と受け入れるのではなく、言語習得過程とコミュニケーション過程を考慮してより適切な方法を検討していく必要がある。

参考文献

  • 馬場哲生(1992)「学習文法とは何か」金谷編著(1992)『学習文法論』河源社 pp. 15-38.
  • 伊藤・村田(1982)「学習文法」伊藤・島岡・村田『英語学と英語教育』英語学大系 12, pp. 267-412.
  • Sharwood Smith, M. (1981) "Notions And Functions in a Constrastive Pedagogical Grammar" In A. James and P. Westney eds. New Linguistic Impulses in Foreign Language Teaching. pp. 39-53.
  • 霜崎實(1997)「教育図式の転換」鈴木他(1997) 『コミュニケーションとしての英語教育論』アルク pp.134-142.
  • 田中茂範(1997)「英語教育の現在」鈴木他(1997)『コミュニケーションとしての英語教育論』アルク pp.8-20.