変な対立図式
英語学習において、以前から妙な対立図式がある・
文法かコミュニケーションか
変である。妙である。「文法なんかやらないでコミュニケーションの手段としての英語を」などと言われることが多い。もっともこれは応用言語学や第二言語習得研究の分野では有名なCanaleらの「コミュニケーション能力」(communicative competence)の構成要素を考えればなんでもない話である。
- 文法能力(grammatical competence)
- 談話能力(discourse competence)
- 社会言語能力(sociolinguistic competence)
- 方略能力(strategic competence)
もちろんこの定義には非言語コミュニケーション(nonverbal communication)の要素があまりお反映されていないという批判はあるが、言語コミュニケーションを構成する要素に関しては妥当と言える。*1
速読か精読か
これも変である。「速読」の逆は「遅読」であるはずで、「精読」の逆は「粗読」であるはずだ。試験対策として英語を教えていると、解答時間の制約から読みとばす必要はあるものの、選択肢と対応する箇所に関しては正確な理解が求められる。つまり「速くて正確な読み」が求められるのだ。しかし現実は違って高校生などは精読しようとしてただ時間をかけてだらだらと読んでいるだけであることが多いし、大学生や社会人では速読のつもりがただ適当に読んでいるだけであることが多い。目的に適った読解方略(reading strategies)を身につけることが大切なのだが・・・
構文かパラリーか
これは受験英語の流派みたいなものだが、英語の文章はパラグラフの概念が明確なので、パラグラフの仕組みをうまく利用した読み方は効率がよいことは確かであるが、パラグラフを構成する単位は文である以上、文を読むための文文法(sentence grammar)も当然必要である。
いわゆる構文主義とは、伝統文法や構造主義言語学、変形生成文法などを援用した読解文法の習得を中心に掲げているのに対して、パラグラフリーディングでは英米の国語教育やESLで行われている読解法をベースにしている。前者は文より大きい単位に対しての配慮を欠いているし、後者は日本語と英語との語順の違いから文レベルの理解が困難な日本人学習者が多いという現実を捉えていない。どちらにしても「日本語話者が英語の文章を読むとはどういうことなのか」という根本的な問いに答えられていない。解決策は単純である。両者を統合するようなアプローチ(読解法・指導法)を考えればよいのである。
*1:むろん、このようにモジュール化して英語を教えるべきかどうかは別問題