持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

体系と雰囲気

構文に対する拒絶

私が現在担当している生徒のなかには、いわゆる構文に対して拒否反応を示す者が少なくないように感じる。ここで言う構文とは、伊藤流、薬袋流、富田流のいずれかか、その亜流にあたる、受験英語の現場から生まれた読解文法のことである。逆に、彼らはパラグラフ・リーディングだとか、解法だとかという話になると、食い付きが良くなったりする。文法的な細かな話を抜きにした授業が好まれている感がある。
私の前任者は、構文中心の指導をしていたようだ。生徒のノートや、前任者が某雑誌に書いていた記事などから知ることができた。予備校で構文に照準を合わせた授業を行う場合、短い文章を文法項目ごとに配列した教材を用いるのが一般的である。これに対して、高校の受験対策で用いられるテキストは、入試の長文問題をテーマごと、あるいは恣意的に配列したものである。文章の長さも決して短くはない。このような教材で構文中心の授業ということになると、ものすごい勢いで解説するか、基本的な文法事項を暗黙の了解として説明を省いていくなど、生徒の理解を無視した授業にならざるを得ない。

地に足の付いた読解文法の必要性

こうして彼の授業は崩壊したのだろう。私は、テキストの特性と進度の関係で、設問に関係のない部分については本文の解説を極力避けた。こうした授業は、表面的には「読まなくても問題が解ける授業」のように生徒の目には映るのかもしれない。だが、私に直接話しかけてきた生徒の声や、期末試験の得点を見る限り、「構文」の指導が不要と言えるようなレベルではないことがわかった。そのまま着任時からの授業を続けていたら、分かりやすくても力の付かない授業になってしまうのは明らかであった。
一通りの文法を曲がりなりにも身につけて高校を卒業した浪人生を想定して編み出された「構文」では、学力中下位層の生徒には意味をなさない。もっと基本的な、英文の基本構造の習熟から始まって、現実の英文の統語構造が認識できるレベルに到達できるような見通しを持った読解文法が必要なのだ。期末試験明けの授業から、すぐに実行に移した。知識先渡しはこの一環である。おそらく、設問つきテキストを用いたリーディング授業を、普通の高校生に対してまともにやれば、ものすごい量の情報量や演習量が必要になることが、私の授業によって明らかになるのではないだろうか。