持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

英語基礎:Sアカデミー「英語S」の背景(その11)

感情の表現

S+V+Cという文型を日本語の形容詞文(形容動詞文)や名詞文との対比で導入することは前回および前々回の記事で述べた。しかしながら、日本語の形容詞文・形容動詞文のすべてが英語のS+V+Cに対応するわけではない。この「例外」とも言える表現の主なものに感情の表現がある。

  1. 空が明るい。
  2. 死がこわい。

この2つの文のうち、2は「(私は)死がこわい。」のように「私は」を補うことができるが、1はできない。この2つの文は論理的には別種のものであるが、表面的には同様の構造をとっている*1。2つの文の形容詞に着目すると、「明るい」は外面的な状態を表し、「空」というモノがその時点で備えている(帯びている)状態を表している。対する「こわい」は「死」そのものが持つ性質や状態ではなく、「死」に対して話し手が抱く感情である。このため2の文では「私は」を補うことができるのである*2。この2つの文に対応する英文は次のようになる。

  1. The sky is bright.
  2. I fear death.

後者の類例を追加しよう。

  • I envy you. うらやましい(よ/わ/なあ/かぎりです)。
  • I hate you. にくらしい(人)。
  • I love you. 好きです。

こうした英文に対して、教室ではもう少し直訳調の日本語を提示することもあろう。これについては次の引用を参照されたい。

上記の英文を直訳風に、“私は君をうらやむ”“私は君を憎む”といったふうに訳すとしよう。それらの日本語はよく理解できるが、日常使いなれている表現とは次元が違ったものとなる。上の訳に示した日本語のほうが話し言葉としては自然である。それらの日本語は人称代名詞をまったく欠いているが、日本人ならば話し手から聴き手への発話であることはおよそ了解できる。それらの日本語表現の中には文脈や発話の場面を無視してみても、話し手(一人称)から聞き手(二人称)に向けたものであることの分かる文もある。*3

日本語では、「嬉シイ」、「悲シイ」などの感情を表わす形容詞は、具体的な場面での一部として用いられる場合、感情を抱く主体は原則として一人称、つまり、話し手自身と解される。(「嬉シイ!」という発話があれば、「私(ハ)」などの一人称の表示がなされいなくても、嬉しいのは話し手自身のことと自動的に解釈されるし、他方、二人称、三人称と結びつけた「アナタハ嬉シイ」、「彼女ハ嬉シイ」といった表現は不自然と感じられる。)*4

これは文法指導にどのような示唆をもたらすのであろうか。学習者は一般的に、母語の表現形式をそのまま目標言語の移行させる傾向がある*5。このため、(主に話し手の)感情を表す形容詞文が、モノの性質や状態を表す形容詞文と同様の構造をとるならば、英語においても同様の構造をとるものと無自覚に見なしてしまうおそれがある。このため、1と2の形容詞文が実は異なる仕組みの文であることを気づかせ、それゆえ対応する英文も異なることを理解させる必要がある。このことはまた、英語においてS+V+Oという文型がいかに中心的で重要な文型であることを生徒に印象づけることにも繋がる。

英文法の基礎研究―日・英語の比較的考察を中心に

英文法の基礎研究―日・英語の比較的考察を中心に

岩波講座 日本語〈6〉文法 I (1976年)

岩波講座 日本語〈6〉文法 I (1976年)

「日本語論」への招待 (Kodansha philosophia)

「日本語論」への招待 (Kodansha philosophia)

*1:山口明穂(1989)『国語の論理』東京大学出版会, p. 20.

*2:川端善明(1976)「用言」『文法Ⅰ』(岩波講座日本語6)岩波書店, pp. 182-183

*3:黒川泰男(2004)『英文法の基礎研究-日・英語の比較的考察を中心に-』三友社出版, p. 23.

*4:池上嘉彦(2000)『「日本語論」への招待』講談社, p. 278.

*5:阿部一(2004)「英語教育における「認知的」な立場とその知見の応用可能性」『獨協大学英語研究』60 pp.333-355.