語順について(その2)―主語と主題
日本語における主語の「省略」
日本語では主語が省略されるとよく言われる。時枝(1954)も「国語における用言の無主格性」と題する一節の中で、次のように述べている*1。
国語においては、述語となる用言の主語が、屡々省略されて、それが、また、国語の特性の一つとも考へられてゐる。更にまた、国語においては、主語が、述語の意味内容を限定するものとして、述語に対する他の限定修飾語と比較して、これを区別する著しい特色を見いだすことは困難である。(時枝1954:267)
ここで重要なのは、時枝の主張は日本語に主語がないと言っているのではないということである。むしろ主語があることを前提にした指摘である。ただ主語が明示されないことがあることと、主語が文の他の要素と比べても決して特殊なものではないことの2点を指摘しているに過ぎない。益岡(1997)によれば、日本語に主語が存在しているかについては研究者のあいだでも意見が分かれているという。ただし、これも「主語」の定義の仕方によって主語が存在するかどうかの判断も違ってくる。一般に主語廃止論者として知られる三上(1963)でも、「〜が」「〜が」に「主語」という用語を当ててはならないと主張しているわけであって、「主語が存在しない」という主張しているのではないと解釈することもできる。
文の「主題」
日本語の文において「主題」が重要な役割を果たすことはよく知られている*2。情報構造の観点から見た場合、文は「主題」と「叙述」によって成り立つとされる。主題が重要な要素とされる日本語の文では、語順がある程度語用論的に決定されると言ってよい。これに対して英語は語順が文法的に決定される(寺島1986)。日本語にはいわゆるSOVと呼ばれる無標の語順があるものの、S以外の要素を文頭に移動させて主題化させるのも容易である。しかし英語の場合は日本語のような単純な語順変更では主題化できないことが多い。日本語では一般に悪文とされる、主語と述語の離れた文も、主題化によって説明することができる。すなわち、直前の文との結束性を保つために文頭に置かれた主題と、文末に置かれた述語との間に、他の要素が述語との文法関係や意味関係を示すために数珠繋ぎになるために生じるのである。
参考文献
- 益岡隆志(1997)「文法の基礎概念1:構造的・形態的概念」益岡・仁田・郡司・金水『文法』(岩波講座言語の科学5)岩波書店.
- 三上章(1963)『日本語の論理』くろしお出版.
- 寺島隆吉(1986)『英語にとって学力とは何か』三友社出版.
- 時枝誠記(1954)『日本文法文語篇』岩波書店.
- 作者: 益岡隆志,郡司隆男,仁田義雄,金水敏
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